頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

2018年も残り8ヶ月になりました。

残り8ヶ月って、何か微妙ですね。
先月の「4分の1」の方が早いなーと感じるというか。
この現象何て言うんでしょう。

パーソナルな話:「女だから○○」「男だから○○」

GWに地元に帰って、こんな話をしてた。

恋人と付き合ったり、結婚したりして、
「女なんだから、料理してほしい」とか、
「男なんだから、稼いできてほしい」とか。

何でそんなにパーソナルな部分を前置きに使って話するの?
その真意は本当にパーソナルな部分を前置きにしていい事なの?
って。

「前置き」と「本質」の切り分け

上記の文章を切り分けてみると、以下のようになる。

前置き=「〇〇なんだから、」
本質=「××をしてほしい」

本質を伝えるために、パーソナルな部分を前置きに使うのは間違っていると考える。

パーソナルな部分に踏み込まない:性別

僕は男なので、前置き=「女なんだから、」、本質=「料理をしてほしい」を考えてみる。

相手に伝えたい事は「料理をしてほしい」である。
では、本当に「女だから」料理をしてほしいのか?

女であっても料理をしなくていいと思うし、
男であっても料理はすればよいと思うし、
出来る人がすればいいと思う。

男であっても、女々しくひ弱だが、家庭的な人もいる。
女であっても、雄々しく力があり、稼げる人もいる。

これは弱みではなく、強みである。

この強みを殺すかのように性別を取り上げる事は誤っている。

パーソナルな部分に踏み込まない:国籍

「日本人は家事の分担をしない」
「外国人は家事の分担をしている」

たまにこのような話を聞く事がある。
これも性別と同じようにパーソナルな部分に踏み込んでいる。

日本人であっても分担する家庭もあれば、
外国人であっても分担していない家庭もある。

国籍など関係ないのだ。

必要な事は、「補い合う事」と「プライドを捨てる事」

では、どうすればよいのか。
答えは簡単で、前置きを「自分には出来ないから、」とすればよい。

自分には料理が出来ないから、料理をしてほしい。
自分は掃除が苦手だから、掃除をしてほしい。
自分は稼ぐ能力が低いから、稼いできてほしい。

これであれば合点いく。

ただ、自分の非を認めたくない人もいるだろう。

料理できない事や、掃除できない事、稼いでこれない事など。
自分を下げて、また、相手に頭を下げてまでお願いしたくない。
だから、相手を下げて、お願いをする。

これは、自分本意で、傲慢で、自分勝手な人がやる事だ。
不要で無駄なプライドは捨て去り、素直に「自分には出来ないから、」と言えばよい。
そもそも、だったら自分でやればよいのだ。

僕の場合

ちなみに、僕はオールラウンダーで広く浅く出来るタイプである。
そのため、「自分には出来ないから、」という理由を使う事があまりない。
それなりに料理も掃除もするし、それなりに稼いでくる。
だから、「××をしてほしい」という感情もあまり沸かない。
その代わり、深入りしたような趣味や特技がないのは難点であるが...

結論

パーソナルな部分に踏み込んで、それを前置きにしてしまってはすれ違いが生じて当たり前だ。
なんせ、自分の非を認めず、相手を下げて、更に依頼までしているからだ。

パーソナルな部分には踏み込まず、自分の非を認め、不要で無駄なプライドは捨て去ってしまうか、
自分自身で全てをちょっとずつ出来るようになり、補う側に回れば、すれ違いも生じなくなる。