「結局、みんな悪い」と思える許容力
ヒルナンデスでの炎上案件
ヒルナンデスのロケで、芸人数人と俳優1人が、セーラームーンカフェに来店。
そこでの店員とのやりとりを見た視聴者から批判の声が上がった。
・・・・・何故???
みんな悪い←結論
今回の場合、芸人ばかり批判されているが、芸人だけが悪いとは到底思えない。
芸人も悪いし、俳優も悪いし、テレビ局も悪いし、ファンも悪いし、セーラームーンカフェも悪い。
芸人が悪い理由
まず、お笑い芸人という職業人として、真っ当に仕事をしている。 店内のツッコミポイントにしっかりツッコミを入れ、店員から出された大喜利にも答えている。 そこで出てきた言葉を、"お笑い"と捉えるか"罵倒"と捉えるかは、視聴者の認知バイアスによるため、難しいところである。 (大喜利のクオリティについてはここでは言及しない。)
作品やカフェに対する配慮が不足している点、笑いに走り過ぎている点において、批判の対象となる可能性がある。
俳優が悪い理由
俳優についてだが、正直よく分からない。 コメントも言わないし、大喜利もしないし、カフェに味方するわけでもない。 ましてや「これ全部食べるから勘弁してくれ」と、自分にメリットになる事しか言っていない。
何がしたいのか、何のためにロケに行ったのか、そもそも必要だったのか全く分からない点において、批判の対象となる可能性がある。
テレビ局が悪い理由
まず、オードリーの若林と春日、平成ノブシコブシの吉村は、真面目なコメントも出来る3人である。 MCをしたり、情報番組にも出演するため、真面目な性格である事はみんなも理解できるであろう。 なのに今回、カフェに対する配慮と、作品に対する敬愛が不足しているように感じたのは、テレビ局側の構成の問題と考えられる。 ただ、番組として笑いに持っていきたかったとすると、芸人の配置も正しいし、構成としても正しく、真っ当に仕事をしていると考えられるが、そこは見えない部分のため難しいところである。
作品やカフェに対する配慮が不足している点、ファンの気持ちを考えない構成にした点において、批判の対象となる可能性がある。
視聴者(ファン)が悪い理由
自分の事を棚に上げて、他者を批判してる事を自覚してないように感じる。 「作品が好きだから、貶されてる感じがして不快。これだから芸人嫌いなんだ。」というのは、 「芸人が好きだから、仕事してるだけなのに批判されるのは不快。これだからアニメヲタクは嫌いなんだ。」と同レベル。 つまり、無自覚のうちに他者(芸人ファン)を批判してるのだ。(それが一番怖い)
他者に対する配慮が足りていない点、自分を棚に上げて自己中心的に他者を批判している点において、批判の対象となる可能性がある。
セーラームーンカフェが悪い理由
世界観を大切にしたいのであれば、テレビ局の取材など受けなければよい。 もし受けるのだとしても、世界観を崩さないよう、入念な打合せと、出演者の出演者の交渉など出来るはずだ。 それをせず、テレビ局と芸人を受け入れ、この放送に至ったというのは、集客と金を考えているに他ならない。 そこに、作品に対する愛があるのかという事すら疑わざるを得なくなってしまう。(愛はあると思うが)
世界観を大切にしたいのか、集客して稼ぎたいのかが不明な点において、批判の対象のなる可能性がある。
結局、みんな悪い。
こうして見ると、当事者全員が悪いという事になる。
「悪い事には変わりないんだから、批判されても仕方ない」という声も聞こえてきそうだが、それは間違っている。
日本では、
「人に迷惑をかけないように生きなさい」と説かれるが、
仏教の元となったインドでは、
「人に迷惑かけて生きているのだから、人の事も許してあげなさい」と説かれる。
キリスト教を信仰するアメリカなどでは、
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と説かれる。
自分も悪いし、相手も悪い。
だから、相手を許せば、相手からも許される。
また、日本の「人に迷惑をかけないように生きなさい」には、
「人は迷惑をかけないように生きてるから、もし迷惑をかけてしまってもそれは故意ではないので、優しく見守ってやりましょう」という教えがあると考えられる。
このような許容力が大切になってくる。
まとめ
もし何かを批判したくなった場合、まず当事者を洗い出し、当事者一人ひとりの目線に立ってみる。 そして、当事者目線で「自分にも悪いところがあったな」と反省する。 そうする事で、それぞれに対して許容する気持ちが芽生える。
それはそうと、「芸人批判は問題ない」みたいな風潮。
黒人差別を彷彿とさせて面白いので、誰か風刺画描いてください。((