「画家はお金もらわないとやっていけないの!」
はぁ、そうですか。(遠い目)
サラリーマンもそうですけどね。
専業主婦もそうですね。
発端のツイート
「絵を描いてお金をもらおうとする絵師はビジネス感あって好きじゃない」
— 久遠青/729(ナツキ)@似顔絵師&イラストレーター (@blue_ak) 2018年9月10日
という旨のツイートを見てしまったので声を大にして言いたいんですけどね…
絵も!!!!ビジネスだから!!!!
お金もらえないと画家も漫画家もイラストレーターもアニメーターもすべて滅びますから!!!!!わかれ!!!
これ系の話、一ヶ月に一回は見かけますね。
(槍玉に挙げてごめんなさい。以下を見てもらえば分かりますけど、別に批判してるわけじゃないです、批評はしてますが。)
そもそも「芸術作品に対する値段」とは
芸術作品の値段は、美的価値・希少性・需要と供給によって決まると言われている。 (参考)
「有名作品・有名画家」の場合
有名作品や有名画家の場合、ここに出てくる登場人物は、評論家・美術館・コレクターである。
つまり、知識や財産を持った有識者とはいえ、かなり狭い世界で決められている話である。
「個人レベル」の場合
有名作品の場合は上記のように値段が決められるが、個人レベルの場合はそうはいかない。
作者による言い値、買い手による付け値。 大体このどちらかであろう。
それぞれの共通点
共通しているのは「作品ありきで値段が決まる」という事だ。
個人レベルの話に戻ると、「言い値と付け値がある」と言った。
作者が「○○円で売れればいいや」「最低○○円じゃないと売らない」と価格提示するか、 買い手が「○○円出してでも買いたい」「こんなのに一銭も出せない」と意思表示するか、となる。
作者と買い手の間違いは、「作品完成前」に値段を決めるから
事の発端は、買い手が「無料で作ってよ」と言い始めたところから始まっている。 これは「(作品は見てないけど私の顔に免じて)無料で作ってよ」という捉え方ができる。
作者が「作品を作るには画材も必要だし、時間も労力も必要。だからお金を払って。」と言い始めるのが事の始まりになる事がある。 これは、どういう作品が出てくるのかも分からないのに金を払わなければならない買い手のリスクを考慮していない。
双方に言えるのは、存在しない作品について語っているところ。
つまり、最初に言った「美的価値・希少性・需要と供給」が考えられていないのだ。
人は、価値に対して対価を払う。
価値は、芸術でいえば作品。
作品がないのに価値は感じないし、価値を感じないのに対価は払わない。
作者自身が必要なのは、金?価値?
必要なのが「金」であれば、貯めてから・貯めながらやればいい。
必要なのが「価値」であれば、作品を作ってから世間に評価してもらえばいい。
買い手の立場から正直に言うと、「作品を作るには画材も必要だし、時間も労力も必要。だからお金を払って。」は訳が分からない。
買い手からすれば良い作品が買いたいだけだし、買い手からすれば金がないことは知ったこっちゃないし、買い手からすれば何年でも待つ事はできる。
裕福な画家、貧乏な画家
ピカソやレンブラントのように裕福な画家もいれば、ゴッホやフェルメールのように貧乏な画家もいる。
どれも天才画家ではあるが、ピカソとレンブラントは活動拠点が富裕層の集まる場所であったり自分で個展を開くなどしてスポンサーを増やしていった。 一方、ゴッホやフェルメールはこじんまりと活動していた。
金銭面における両者の違いはセールス力である。お金の話についてはこの辺が参考になる。
『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』
金持ち「レンブラント」貧乏「フェルメール」
「作品を作るには画材も必要だし、時間も労力も必要。だからお金を払って。」はセールスではない
自分の作品の魅力を語れていないし、必要なものを列挙してるだけ。
セールストークとしては不十分だ。
作品を作って金が欲しいなら、セールス力を鍛えるべきである。
まとめ
金の話をしたいなら、作品を完成させてからすべきだ。
"商業的な芸術家"であれば話は変わってくるが。
そんな事より、
僕が好きな画家「ベルナール・ビュフェ」の作品見てほしい。
淡い色使いに、力強い輪郭線、人物画の表情はどこか不安気で、風景画は薄暗くも光のある空と大地。
めっちゃ好き。