『「M-1グランプリ」審査炎上からビジネスパーソンが学ぶべき教訓』から学ぶべき教訓👎
ナナメ読み?
はぁ?(まちゃまちゃ風)
🤔気になった問題の記事
会社員の人事考課には、大きく分けて2つの評価方法があります。それが「業績評価」と「能力評価」です。
これは分かる。会社員として評価されるのは基本的にこの2つからなっている。
この番組では、「ライブで演じた10組の漫才の中で一番面白かった」「その場をどっかんどっかん一番笑わせた」という結果に対して、グランプリが与えられるということです。これをストレートに受け取った場合、審査員の評価方式は人事評価で言う「基準は業績評価になっていますよ」という意味になります。
逆に、「漫才師として漫才が上手いかどうか」を審査基準として評価するのが能力評価です。能力評価では、その場が湧いたかどうか以上に、プロとしての技術がきちんとあるかどうかが問われるという意味です。
これも一部分かる。 "業績評価"の観点から見れば、笑いの量という"定量的"な部分が分かりやすい指標になる。 "能力評価"の観点から見れば、漫才としての技術という"定性的"な部分が指標になる。 ただ、『笑わせた」という結果に対して、グランプリが与えられる』という箇所については頷けない。
M-1グランプリの審査には 実は「能力評価」の目線もある
この辺からよく分からない。急に何を言い始めたんだ。
🎯『実は「能力評価」の目線もある』は、的を射てない
まず、評価する人=審査員の話をする。
業績評価であれば、記事にもあるように「いかに会場を巻き込んで笑わせたか」という部分が指標になる。
能力評価であれば、記事にもあるように「いかに漫才の技術を持ち合わせているか」という部分が指標になる。
業績評価であれば、審査員は一般客でもいいはずだ。
何故なら「笑ったかどうか、面白かったかどうか」はプロでなくても分かる話であり、無作為に200~300人ほど用意すれば評価の片寄りも減るだろう。
【女芸人The W】では201人の一般審査員により投票が行われるため、こちらのケースであると言える。
能力評価であれば、審査員はプロが務めなければならない。 何故なら「技術かあるかどうか」は一般人には到底分からない話であり、そこの評価は同業者や評論家でなければ務める事はなかなか難しい。 【M-1】【キングオブコント】ではプロの芸人により審査が行われるため、こちらのケースであると言える。
また、M-1の予選(一回戦〜準決勝)の審査方法は一般にあまり知られていないが、構成作家や放送作家などの専門の審査員がいる。
「一般人ではなく専門家」であるため、能力評価をしているといえる。
つまり、『実は「能力評価」の目線もある』という発言は全く的を射ておらず、ケース分けも出来ていなければ、客観視も出来ていない事が分かる。
もちろん「業績評価」もしている、はず
審査員という立場上、見るべきは「技術」はもちろんだが「会場をどれだけ笑わせているか」というのも大きな基準の一つになる。
いくら技術があってもダダスベリをしていては意味がない。 一般客はその笑いを求めていないという事になるし、言い方をキツくすると需要がないので勝ち残れない。
👩⚖️芸人における「業績評価」と「能力評価」
彼ら芸人は事務所に所属しており、マネージャーもついてて仕事を貰ってきている。 世間の注目を集めて人気を得られれば、テレビやラジオに呼ばれたり、CMやドラマに起用されたりする。 そして、事務所側も人気芸人を売り出す事で売上や利益となるため、"人気"が貢献に繋がり、評価にも繋がる。
これが「業績評価」である。
しかしこの評価は、漫才やコントなど"技術"としての評価とは別軸の話になってくる。
「芸人として認められたい。漫才やコントなどの技術を評価してほしい」という思いがあるため、賞レースにエントリーするし、単独ライブや事務所ライブに出演する。
単独ライブや事務所ライブだと客層も限られファンも固定的であるため、事務所の垣根を超えた全国ネットの賞レースには魅力を感じるし、そこで評価を得るという事は"能力"を認められたという事にも等しい。
これが「能力評価」である。
もちろん、どっちが良くてどっちが悪いという事はない。
タレント要素が強くて一般受けの良い芸人も良いし、自分の笑いを追求してライブに掛けていき賞レースに挑む芸人も良い。
ゴッドタンでハライチ岩井が「芸人風」という皮肉を言ってたが、澤部はタレント要素が強く、岩井は芸人要素が強いからこその発言だと感じている。 ハライチの強い部分はこういう二面性を持っているところであり、しかもお互いにそれを認めていて、かつお互いの技術が高いというところが本当に強い。
📖芥川賞か、直木賞か
同じ軸で話すべきではないとは思っているが、例として文学作品の賞について挙げる。
芥川賞は純文学作品を評価され、純文学は芸術的であり一般人には到底分からない文章技術が用いられている。
直木賞は大衆文学作品を評価され、大衆文学は娯楽的であり一般人にも分かりやすい文章表現が用いられている。
それぞれ評価方法も審査員も異なるが、お笑い賞レースについても同じ事が言える。
賞レースの評価方法や基準については言及されていない事が多いが、審査員については起用されたのがプロなのか一般人なのかは明白である。 そして、プロが起用されたという事は、評価基準もプロ目線=技術目線であるべきであり、視聴者としてもそういったコメントを期待している。
🙂まとめ
お笑い賞レースの審査については毎年物議があり、ダウンタウン松本さんも「一般客にすべきという声もあるけど、やっぱりプロ目線も必要だから難しい」と言ってるほどである。
なのでどっちが良いとも言いづらい話ではあるが、「プロによる審査なら芥川賞、一般客による審査なら直木賞」というのは変わりない。
僕は芸人でも審査員でもない、ただのお笑いファンの一人ではあるけど、さすがにこの記事は事象をナナメに読み過ぎだし、コンサルタントを謳っておきながら主観的であるから、全然入ってきませんでした。というお話。(トーマス風)
🤔そんな事より、
Alexaにだけ当たりの強いAIさくらちゃん。(in サンシャイン池袋)
幼馴染設定かな?
それとも好きの裏返しかな?
可愛いね??←