『使う哲学』を読んだのでまとめた。✏️
齋藤孝先生の『使う哲学』を読んだので備忘録。
噛み砕いた表現や、僕なりの表現をしたりしてるので、
「本にこう書かれてた」という100%のものではない。
🤔哲学とは
哲学とは愛知学(知を愛する学問)である。
"知る事"により見方が変わり、世界観を変えるため、生き方を問う学問とも言える。
📕本書における哲学の分類
本書では、時代や主義に応じて「〇〇哲学」といくつか分類されている。
名称 | 概要 |
---|---|
古代ギリシャ哲学 | プレソクラティック以降の哲学。 |
イギリス経験論 | 帰納法。人間の認識の根拠を理性ではなく経験に求める。 |
近代哲学 | 演繹法。大陸合理論やドイツ観念論を中心とする哲学。 |
現代哲学(実存主義) | 実存=いま私がここにいる=自分で道を切り拓く、自らの足で歩み続ける。 |
現代哲学(現象学) | 思い込みでの判断はやめ、意識で捉えた現象を観察し、記述し、最後に判断する。 |
現代哲学(構造主義) | 構造から現象を理解する。 |
現代哲学(ポスト構造主義など) | 現象学や構造主義の影響を受けている思想。 |
以下、それぞれについて記載する。
古代ギリシャ哲学
「プレソクラティック」という言葉があるように、ソクラテスの誕生前後で哲学が大きく転換期を迎えた。
そもそもの哲学の始まりは、紀元前625年頃のタレスによる「万物の根源は水である」という言葉から始まり、世界の成り立ちを神なしで考えた画期的な思考であった。 ここから、ヘラクレイトスの「万物の根源は火である」、デモクリトスの「万物の根源は原子である」、ピタゴラスの「万物の根源は数である」などと、様々な学者が思想を展開した。
ソクラテス
- 無知の知
- プレソクラティックの哲学者達が「万物の根源は~」と言ってる中、ソクラテスは「私は何も知らない。」として展開
- 「知らないという事を知っている方が、知らない事を知ってると思い込んでいる人よりよっぽど賢い」という事
- 問答法
- 問いを続ける事で真理に近付く
- 知らないという事を知っているだけで留まっていてはダメで、「問いを続けて真理に近付きましょうね」という事
プラトン
アリストテレス
- 論理学
- 中庸
- カタルシス
イギリス経験論
フランシス・ベーコンが提唱者であり、「人間の認識の根拠を理性ではなく経験に求める。」という思想。
後述する「近代哲学」は合理論(演繹法)なのに対し、こちらは経験論(帰納法)となる。
フランシス・ベーコン
- 「知は力なり」
- 実験や観察を経て、自然の仕組みを知る事で、正しい知識をつけ、それが力になる
- イドラ
- 帰納法
ジョン・ロック
ジョージ・バークリー
- 「存在するとは知覚される事である」
- 視力のいい人には見えるハエと、そうでない人には見えないハエ。→そうでない人にとってハエは知覚できない=知覚してないハエは存在していると言えるのか?
- →神が万物を知覚しているためハエは存在している。この世のすべてのモノは存在している。という事。(?)
デイヴィット・ヒューム
- 「人間とは知覚の束である」
- 春夏秋冬違った知覚があり、その知覚は過去の経験に基づくモノである
- 五感をフルに使って日々起こる現象を知覚しながら生きる事で、過去に捉われずに今を生きる事に繋がる、という事。
近代哲学
イギリス経験論に対する形で現れた思想であり、大陸合理論やドイツ観念論を中心とする哲学。
前述した「イギリス経験論」は経験論(帰納法)なのに対し、こちらは合理論(演繹法)となる。
ルネ・デカルト
- 「我思う、故に我あり」
- 演繹法
- 1..nつの命題を立て、それを論理的に考える事で真理を導き出す思考法
- 先入観を取っ払って一旦全て疑ってみる=方法的懐疑
イマヌエル・カント
- 「人間は物自体を認識することはできない」
- 「客観的世界は認識に依存している」というコペルニクス的転回を展開。(近視の人が"裸眼で見る世界"と"眼鏡をかけて見る世界"のどちらが正しい?→どちらが正しいとも言えない=認識しているから物が存在できる)
- 「自分ではなく〇〇ならどう考えるか」という思考法はカント的であると言える。(自分にとって林檎は小さくて赤いが、蟻にとっては大きいし赤くは見えないかもしれない。)
フリードリヒ・ヘーゲル
- 弁証法
- 否定を通じて命題の真理に迫る思考法であり、正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)から、合(ジンテーゼ)を導く
- 「和食は美味しい(正)。けど、外食すると高い(反)。」→「家で作ろう(合)。」みたいな感じ
現代哲学(実存主義)
20世紀半ば以降に現れた哲学であり、「"実存=いま私がここにいる事"として、人生を選択し続け、自分で道を切り拓く」みたいな思想。
セレーン・キルケゴール
- 「あれか、これか。」
- 「あれも、これも」ではない。主体的に取捨選択する事が大切。
- 世の中に蔓延る普遍的な真理ではなく、自分自身が持つ真理を大切にしましょう。という事。
- 三段階の実存
- 美的実存:欲望のままにあれもこれもと享楽を求める。倦怠感や虚無感に苛まれて、倫理的実存に進む。
- 倫理的実存:あれかこれかを選択して誠実に生きる。無力感や絶望感に苛まれて、宗教的実存に進む。
- 宗教的実存:自己の矛盾を真摯に受けとめ、一人で神の前に立つ。本来の自己を回復して絶望を乗り越えられる。
マルティン・ハイデガー
- 「存在と時間」
- 過去ではなく既往(これまでの自分を受け入れる)、未来ではなく到来(あるべき自分の可能性)、それらが出会うのが現在
- この思想は禅の「前後際断」に似ている。今を生きる。
ジャンポール・サルトル
- 「実存は本質に先立つ」
- 目的があるから手段を講じる(座りたいから椅子を作る)→では人間は?→人間は生まれながらの本質はない=だから自分で本質作らなければならない
- 「私は絶望に抵抗しながら、希望と共に死ぬだろう」←世の中は絶望に溢れているけど、自分は自分で作れるから希望を持って生きよう!という事。
アルベール・カミュ
- 不条理の哲学
現代哲学(現象学)
20世紀半ばに現れた哲学であり、「思い込みでの判断はやめ、意識で捉えた現象を観察し、記述し、最後に判断する事で、物事の本質を知る」という思想。
エトムント・フッサール
- エポケー
- エポケー=判断停止。思い込みを取っ払う事で、本質を知る。
- "画家的な思考法"とも言える。(リンゴをリンゴとして捉えず、よく観察する事で、「丸ではなく」「赤だけでなく黄色もある」「斑点がある」という事が分かる。思い込みだけで捉えると本質が見えてこない。)
- 間主観性
- "客観的"は本当に"客観的"なのか?→お互いの主観と主観がぶつかる場所にあるのではないか?という事
モーリス・メルロ・ポンティ
- 「身体を中心にして人間を捉える」
現代哲学(構造主義)
20世紀半ばから現れた哲学であり、「構造から現象を理解する」という思想。
フェルディナン・ド・ソシュール
- 分節化・記号化
- 言語体系があるから人間は考える→"個人の人間"よりも"言語の構造"の方がより根底的なのでは?という思想
- "世界観"を言葉により区切る事で差異が生まれ、差異の中に意味を生み出し、世界を豊かに奥深くする
- 例えば「木」。木=treeではない。生えてる場合はtreeで、木造品の場合はwood。=差異により明確になる
- 例えば「雪」。英語では雪=snowだが、日本では粉雪/牡丹雪/綿雪などで表される。=世界観が広がる
- 言語は恣意的な体系
クロード・レヴィ・ストロース
- 野生の思考
現代哲学(ポスト構造主義など)
1960年後半から1970年後半頃までにフランスで誕生した思想であり、構造主義の派生。
ジョルジェ・バタイユは
- エロティシズム
- エロティシズムは、ルールや規範などの境界線を越えていくところにある
- 余剰エネルギーを爆発させる事でエクスタシーを得る(趣味や娯楽に時間を費やす事で心を豊かに)
ミシェル・フーコー
- 言葉と物
- 「人間はやがて消滅する」
- ニーチェは「神は死んだ」だが、これを人間に当てはめた言葉
- 「そもそも人間とは何か」
ジル・ドゥルーズ
- 「トゥリー」「リゾーム」
👍本書のタイトル「使う哲学」とは
例えば、「自分はこう考えるが、〇〇はどう考えるだろう」と相手の立場になって考えてみるのは、カント的であると言える。
例えば、「一旦思い込みを取っ払って、多くのサンプルから検証や観察をして知識をつける」というのは、ベーコン的であると言える。
キルケゴールのように「あれもこれもと強欲に生きるのではなく、あれかこれかと適切な選択する」という生き方や、ハイデガーのように「これまでの自分を受け入れて、あるべき自分の可能性を見出し、今を生きる」という生き方もある。
それぞれの哲学を試してみて、自分の生き方に則していれば価値観として捉えればいいし、則していなければそれに疑問を抱けばよい。
疑問が生まれたら、ヘーゲルの弁証法のように心理に迫っていけばよい。
🙂まとめ
この本、何回も読んだけどあまり頭に入ってなかったからまとめてみて良かった。(小並感)
今回はざっくりした内容しか書いてないけど、本書には細かく書かれてるので、みんなも買って読んでね!
このブログはアフェリエイトでも何でもないから、気にせず是非!