頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

深淵から見られている感覚が抜けない。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

フリードリヒ・ニーチェ


深淵とは

深淵(しんえん)とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。英語の“abyss”に対応する。
新共同訳聖書では創世記に登場する単語テホム(en:Tehom)の訳語として用いられている。

フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。
これから連想が進み、ヨハネの黙示録アバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。

深淵 - Wikipedia

深淵、すなわち、進化の終着点。

深淵、すなわち、人間の行き着く最後の未来。


結婚への不安

世の中には「理由付けすべき事」と「理由付けしなくてよい事」がある。

結婚はもちろん後者だと思っているが、本当にそれでよいのかという疑念も残る。

理由付けしなくてよい理由付けをしたくなる。理系の宿命なのだろうか。


結婚の必要性

「結婚なんて若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから。」

樹木希林

非常に真理だと思う。 大人になるにつれて必要性を感じなくなるし、考えれば考えるほどドツボにハマる。

本当に必要なのか、何のために必要なのか、何があれば必要ではないのか。


そもそも結婚とは

Wikipediaには以下の記載がある。

結婚(けっこん)とは、夫婦になること。婚姻(こんいん)とは、社会的に承認された夫と妻の結合である。「婚姻」は配偶関係の締結のほか配偶関係の状態をも含めて指している。

広辞苑では「婚姻」の定義として、「結婚すること」とした上で、「夫婦間の継続的な性的結合を基礎とした社会的経済的結合で、その間に生まれた子が嫡出子として認められる関係」としている。

結婚 - Wikipedia

全てを引用すると長くなるので割愛するが、要約すると以下のようになる。

  • 法的には、「結婚」よりは「婚姻」の方が正しい
  • 婚姻とは、「夫婦間の嫡出子」を法的に認められる関係
  • 婚姻とは、「性的結合」「社会的結合」「経済的結合」が社会的に承認された関係
  • 婚姻とは、終生にわたる共同での生活を目的とする典型的な身分行為
  • 民法第750条によると、『夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する』
  • 民法第752条によると、『夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない』
  • 民法第770条の解釈により、夫婦は貞操義務を負う
  • 民法第756条および第755条によると、まずは契約財産制が適用され、これに限らないものは法的財産制が適用される

何のために結婚するのか

以上から考えると、「何のために結婚するのか」という問いに対しては、以下に収束される。

  • 夫婦間の嫡出子を法的に承認させるため
  • 「性的結合」「社会的結合」「経済的結合」を社会的に承認させるため

何であれば結婚しなくてよいのか

逆に考えると、子作り・子育てをする予定がなく、共働きでお互いに経済的に安定している場合には、結婚する必要性を感じなくても仕方がない。 メリットとしては、財産分与くらいであろう。


結婚は愛の結晶なのか

これは揺るぎない事実であると、個人的には思う。 両親が結婚し、子供を授かったからこそ、今の自分がいるわけだ。 これを否定するという事は、両親を否定する事になる。そんな事は僕にはできない。

しかし、それを引き継ぐ必要があるかと考えると別の問題がある。 結婚は愛の結晶であるが、愛の結晶は結婚以外にもあるのではないだろうか。 果たして本当に「結婚」という選択肢でよいのだろうか。他の選択肢はないのだろうか。 「結婚」により民法で様々な制約が設けられるが、果たしてそれは自分に必要なのだろうか。 そもそも愛とは何なのだろうか。結婚以外で示す事はできないのだろうか。



物事の分別をつけられるようになってしまった自分を、心から軽蔑している。



深淵がこちらを見ている

大人たちがいつも言っていた言葉。

「結婚は墓場」

子供の頃はいまいち分からなかったが、今なら分かる。


深淵がこちらを見ている感覚が抜けないからだ。