頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「家事」が大変な理由は、「家庭」が小さな社会主義国家であるから。

✔ 序文

IT業界の人間なら誰でも聞いた事があるであろう言葉、「運用でカバー」。

これほど聞きたくない言葉はないのである。


家庭においても同じ事が言える。


まず、「要件定義」として部屋探しをする。南向き、ペット可、駐車場付き、浴室乾燥機付き。様々な要件があるが、それらを満たしてくれるプラットフォームを選定し、決定する。

次に、「設計」として部屋のレイアウトを考える。プラットフォームに適合するサイズや色合いなどにする事で統一感を持たせる。もしくは機能性や汎用性を重視した物品導入を検討する。

そして、「開発」として実際に家電や家具を購入し、配置する。実際に配置する事で見えてくる課題が出てくるが、追加購入は検討しづらいためそのまま配置する事が多い。

ここから本番稼働が開始し、「運用保守」としての生活が開始する。


✔ 「誰が運用保守、もとい家事全般を行うのか」

さて、まず重要になってくるのは「誰が運用保守、もとい家事全般を行うのか」という事である。


システムであれば、設計バグや開発バグによって生じる不具合を修正したり、新たな要件を満たすために追加開発をする。また、異常発生していないか監視したり、異常発生時に備えてマニュアル策定などをしたりする。

家庭であれば、日々発生するゴミや洗濯物の処理、日々発生する炊事および洗い物、断続的に発生する排水溝やトイレの清掃、子育て家庭であれば子供の送り迎えや寝かしつけなども発生する。


こういった日々発生するほぼ同じ作業を、誰が担当するのかを検討しなければならない。 また、運用なんて本来は発生しない方がよいので、作業担当するだけでなく、改善提案が行えるかというのもポイントになってくる。


✔ 改善提案にかかる「費用対効果」と「導入製品の運用保守」

システムであれば、「根本バグを潰して監視負荷を減らしたい」「異常検知をログではなくBIツールで行いたい」「CIツールを導入してリリースまでの手間を一元化・簡素化したい」などの改善が上がってくるだろう。

家庭であれば、「ルンバを導入して掃除負荷を低減したい」「食洗器を導入して食器洗いゼロにしたい」「掃除効率を上げるためにレイアウト変更したい」などの改善が上がってくるだろう。


改善提案が上がってくると、次に重要になってくるのは「費用対効果」と「導入製品の運用保守」である。


「費用」については、人により変動する相対的な価値なので今回は触れない。(金がある人は買えばいいし、金がないなら買わなければいい。それが資本主義社会の宿命。)

問題は「導入製品の運用保守」、つまり「運用保守を低減するために導入した製品の運用保守」である。


BIツールやCIツールを導入するにあたって、それの初期構築やメンテナンスは誰がやるのか?専門知識が必要であれば追加要員が必要か?そのツールがバグを孕んでいた場合にシステム影響はないか?

ルンバや食洗器を導入するにあたって、そこで生じるゴミや洗剤は誰が補給するのか?ルンバの場合は掃除効率を上げるためにレイアウトを再設計しなければならないか?食洗器には誰が入れて、誰が食器棚に戻すのか?


そして、この導入検討からリタイアしたものは「運用でカバー」する事になる。


✔ 「運用でカバー」は魔法でも銀の弾でもない、ただの妥協

最後に重要なのは「この言葉を使ってよいのは運用担当者であって、それ以外の人間ではない」という事である。


担当者が「これは確かに仕方ないね」と思うから、手作業で対応するわけであって、他の人間が手作業を強いるのはお門違いである。

更に言えば、他の人間が「導入検討したら?」というのもお門違いである。何故なら先ほど問題提起した「運用保守を低減するために導入した製品の運用保守」について他の人間は考えていないからである。 仮に考えていたとしても、実際の作業は運用担当者になるため、実質的に負荷をかけている事になるからである。


実際問題、現行構成のまま運用した方が時間もコストも抑えられるケースもある。運用担当者もその辺については考えているし、何でもかんでも導入すればいいという話でもない。


✔ 減点方式と加点方式。資本主義と社会主義

よく「運用保守は減点方式」と言われる。できて当たり前、できなかったら総スカン。これは良くない心理状態を生み出してしまう。


加点方式にすれば、やるだけ評価されるし、やらなければ点数が加算されない。よし、これなら大丈夫だ!・・・・・ともならない。

会社であれば、加点方式でよいだろう。やる人が評価されて出世し、やらない人が評価されずに停滞する。それが資本主義の宿命。

家庭であれば、点数なんて重ねる必要がない。評価に関係なく生活ができる、いわば社会主義だからだ。社会主義国家では平等なので、やる人がしんどい思いをする。



家事が大変と言われる所以は、ここにあるのだと思う。

家庭は小さな社会主義国家であり、そこで行われる家事は、やる人のみが大変な思いをし、やらない人は"平等"な利得を得られる。

社会主義の崩壊の理由が、家庭を通して見えてきた。



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