頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「贅沢」と「無駄遣い」の狭間にあるモノ

クーラーを付けるのは贅沢。
熱中症対策になるし、ストレス軽減にもなるので、無駄ではない。
ただ、付けっぱなしで外出するのは無駄遣い。

浴室暖房を付けるのは贅沢。
寒いと風呂に入りたくなくなるし、ストレス軽減にもなるので、無駄ではない。
ただ、付けっぱなしで入らないのは無駄遣い。

ピザの宅配を頼むのは贅沢。
費用の代わりに調理時間が浮くし、とても美味しいので無駄ではない。
ただ、食べきれずに捨ててしまうと無駄遣い。

お酒を飲むのは贅沢。
費用の代わりにストレスが軽減されるし、とても美味しいので無駄ではない。
ただ、飲み切れずに捨ててしまうと無駄遣い。


つまり、

「贅沢」と「無駄遣い」は同じ時間軸に存在している。

「贅沢」が「無駄遣い」に変換されるのは、そこに「惰性」が生じた時。


「惰性」が生じるのは悪い事ではない。

クーラーを消すのは面倒臭いし、
浴室暖房付けても入りたくない時もあるし、
お腹いっぱいならピザも捨てたくなるし、
これ以上飲めない酒を飲む必要なんてない。


しかし、

そこで一歩踏みとどまり、次の一手を考えられるかどうかが重要になる。

「やっぱり勿体ないから消そう」
「やっぱり勿体ないから入ろう」
「今日は食べれないけど、明日温めて食べよう」
「肉と一緒に煮込めば柔らかくなりそう」




ところで、

昨年末、大きな断捨離をした。


8年近く運用していたTwitterアカウント。 突然執着がなくなり、アカウントを削除した。

あまり過去ばかりを想起するのはよくないが、最近のSNSに疲れてきたのが一番の理由だ。


本来のSNSは『ソーシャルネットワーキングサービス』であり、「社会的繋がりをインターネット上で実現できるプラットフォームサービス」である。

地理的に離れた個人同士が、匿名を用いて、共通の話題で盛り上がる事ができるところに魅力を感じて、僕も利用していた。


しかし、昨今のSNSは『宣伝用プラットフォーム』となっているように感じる。

昔からどの業界にも人気者がいて、その人気者にはファンがおり、ファンがファンを生む。 その拡散性に注目した企業がSNSに進出し、人気者を用いてマーケティングを行う。 インフルエンサーの誕生だ。

SNSに影響力がある事を知ると、企業が次々に参入を開始する。 メーカー系による商品紹介だけでなく、人事担当者による採用活動や、代表取締役によるブランディングも始まる。

この波及効果は政界にも影響を及ぼし、政治活動の一環として政治家による参入も開始する。

・・・このようにして、SNSというプラットフォーム上にかつて存在していた""匿名の人間""は、宣伝やブランディングによる""実名の人間""に淘汰され始める。


情報社会の大海原では、匿名性は必ず失われていき、どこかで必ず実名が浮かび上がってくる。 昨今では「匿名」「実名」という垣根すらもなくなってきているため、匿名に安堵していた人間は、匿名という名の居場所を失っていく。

更には「多様性」の名の下で、他人を容易に傷付ける事案も散見される。 自ら火だるまになる人間もいれば、人畜無害な人間に火種をふりまく放火魔もいる。 その放火魔を批判しても、放火魔の多様性を持ち出されてしまう。

他にも、SNSを眺めていると色々考える事が増えてくる。 それが個人の成長に繋がると考えて、辛くて批判的な内容であっても堪えて考えるようにしていたが、それにも疲れてきた。



最近のSNSに疲れてきたと言ったが、このようにあれこれ考えながら生きていくのに疲れたのかもしれない。

「削除するのは勿体ないな」とも考えたが、いっその事このプラットフォームから身を引いた方がストレスが軽減されると思い、心機一転も兼ねて削除した。年末だし。


惰性でアカウントを運用すると、時間や思考の無駄遣いしてしまうと判断したからかもしれない。

贅沢なタイミングで削除できたのかは不明だが。

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