頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「30歳」という数字の魔力

社会に生かされている感覚

プログラマになりたい!」と夢を見た中学時代。
商業高校の情報処理科に行き、専門学校の情報システム学科に行き、就職を機に東京に上京。
受託開発やら自社開発やら研究開発やらを経て、色々あって現在は社内SE。

特に東京に思い入れがあるわけでもないし友達もいないので、会社と自宅の往復の毎日。
テレワークできる職場なものの、職場付近の住居に住む必要があるため、岡山にUターンできない。
趣味もないので、テレビを観るか、レンタカーでドライブするか、家で酒を飲むだけ。
明日突然ガン宣告されても「やりたい事がたくさんあるのに!」と言えるほどの欲求も特にない。


社会を生きているのではなく、
社会に生かされているんだなと痛感してから、明日を生きる理由が見つからない。


人間は常に不安定な生き物

なぜ生きているのか分からないまま、来年の9月には30歳を迎えてしまう。
年齢なんてただの数字としか思って僕でさえ、非常にキリのいい数字なので、無性に考え込んでしまう。

無性に考え込んでしまうが、人間という生き物は、生きている限りずっと不安定な時期を過ごす。


中高生時代は、思春期という不安定期に入り、
20代は、アイデンティティの拡散に陥り、
30代から50代には、中年クライシスに陥り、
60代以降には、老後うつに陥る。


僕の中でのアイデンティティの拡散

以下の記事によると、アイデンティティの拡散に陥ると以下の兆候が表れるらしい。
https://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1406/03/news010.html

  • 時間的展望の拡散
  • 同一性意識の過剰
  • 勤勉さの拡散
  • 親密さの回避


『時間的展望の拡散』については、昔からよく表れる性格で、20代とか関係なく兆候として存在していた。


『同一性意識の過剰』については、昔から表れない性格で、20代でも兆候としては表れてはいない。


『勤勉さの拡散』については、東京に上京してから2年足らずで表れた。
はじめは東京という土地に浮かれて遊んでいたが、ふと「何のために上京したんだ?」と思うようになり、IT系の勉強会に足を運ぶようになった。
元々活字が苦手だったが、通勤時間を利用して書籍も読むようになり、心理学・哲学・量子論・組織論など、様々な分野に手を付けていた。
当時は「多角的な視点で物事を捉えなければ本質に辿り着けない」という思いで読んでいたが、今思えばアイデンティティの拡散の兆候だったのかもしれない。


『親密さの回避』については、2020年末に唐突に表れた。
元々友達も多くないが、SNS上などで表面的な付き合いをしている人は多く存在した。
しかし、唐突に「関係を断とう」と思い、SNSを削除し、LINEも不要な人間は削除した。
おそらく、献身的な性格な僕だが、見返りがなさ過ぎる事に心が疲れてしまったのだと思う。


妥協案を提示してくれる哲学

こういう時には、哲学者から知恵を拝借するとよい。


実存主義として有名なフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、
『実存は本質に先立つ』という観念を提唱した。


経験主義として有名なイギリスの哲学者ジョン・ロックは、
タブラ・ラサ』という観念を提唱した。


つまり、人間が生きる理由より先に人間は誕生しているため、本質は後から付いてくる。
人間は生まれながらにして白紙であり、経験により随時書き込まれていく。


なるほど、不安定の渦中にいても、そもそも人間に本質なんかないんだから、今は本質を探している途中なんだと考える事ができる。


世の中の30歳はどんな気持ち・・・??

・・・・・とまあ、こういった思考を巡らせるくらいには、30歳という数字の魔力に取りつかれている。
これもアイデンティティクライシスの特徴の一つなのだと思う。


ところで、世の中の30歳を迎えた人達は、どのような心持ちで30歳を迎えたのだろうか。
非常に気になる。