頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

創作落語「NFT」


A「お前さん、NFTって知ってるかい」
B「NFT?なんだい、それは」
A「ネット上のトークンらしいんだが、俺もよく分かってないんだ」
B「トークン?よく分からないが、なんだか新しいもんができたんだねぇ」
A「そうなんだよ」
B「で、そのNFTってので何ができるんだい?」
A「メタバース上で土地の売買ができるんだよ」
B「土地の売買?」
A「あと、デジタル絵画の売買もできるんだ」
B「デジタル絵画?」
A「そうさ」
B「それってさ、実体はあるのかい?」
A「実体なんかないさ。全てはネット上にデータとして存在してるんだ」
B「実体の無い土地や、実体の無い絵画を売買するのか?」
A「そうさ」
B「なんだか怪しいね」
A「怪しくなんかないさ。大企業でも使われている技術だし、投資家たちも注目しているんだ」
B「そうなのか」
A「そこでさ、俺もデジタル絵画ってのを描いてみたんだよ。1万円なんだけど、買ってみないか?」
B「でも実体はないんだろ?どう扱えばいいのさ」
A「そんなの知らないよ。けど、俺の絵が将来的に10倍の価値が出たら、その時にデータを売ればいいさ」
B「1万円のデータが10万円になる可能性があるんだな」
A「そういう事さ」
B「よし。昔からのよしみで、1個買いだ!」
A「まいどあり!」

B「・・・という事があったのさ」
C「なるほど」
B「結局、AがくれたデータにNFTは仕込まれてなかったから、何の価値も出なかったんだ」
C「それは大変だったな」
B「けど、Aの発言には真正性や信頼性がないという裏付けされて、AのIDに詐欺の烙印が押されたらしい」
C「かわいそうに」
B「今ではどこに行ってもIDの提示をしないといけないから、過去の過ちをNFTが証明してしまって大変らしい」



🔗ただの思いつきで台本化してみた

先日、NFTが組み込まれたデジタル絵画を販売してる人の話を聞く機会があって、

「どういうモノなのかよく分かってないけど、今買っておけば将来的に価値になる可能性があります。」 という趣旨の発言をしてたので、

「この人の発言の信憑性をNFTが証明する時代が来たら面白いな」 と思って、思いつきで書いてみた。



僕もNFTやブロックチェーンを理解しきれていないまま勢いで台本化してしまい、変なところはあると思うので、ご容赦ください。


それにしても、どういうものなのか分からないまま売りつけるって、あまり良くないよね。
(世の中はそういうビジネスで溢れているし、買い手もよく分からず買っちゃうのが世の常だけど)



🔗NFTと周辺技術


NFT

「Non-Fungible Token」の略称。
日本語では「非代替性トークン」という。


FT

反対に「代替性トークン(FT/Fungible-Token)」というものもある。
「暗号資産」がその一つ。


NFTとFTの例

例えば、

  • 暗号資産は、1000円なら1000円の価値しかないし、1000円で1000円のモノが買える。(代替可能)
  • 電子絵画は、今は1000円でも将来的に1000円以上の価値になる可能性もあるし、絵画で他のモノは買えない。(代替不可)


ブロックチェーン

技術の根幹は「ブロックチェーン」にある。
ブロックチェーンは簡単にいうと「取引台帳の数珠繋ぎ」であり「分散型台帳」ともいう。


例えば、

  • 暗号資産で、「1000円」という資産を、誰から受け取り、誰に振り込んだという情報が、台帳に書込まれる
  • 電子絵画で、「XXXX」という作品を、誰が生み出し、誰の手に渡り、誰が現在持っているのかという情報が、台帳に書込まれる


この台帳は、

  • 一つのコンピュータが中央集権的に管理しているわけではなく、
  • 複数のコンピュータが分散的に管理している。


なので、

  • コンピュータABCDEの5台が分散管理していると仮定し、
    • コンピュータBの取引履歴が、コンピュータACDEに連携されるので、耐障害性に優れている
    • コンピュータCで改竄されても、コンピュータABDEとの照合結果が合わないので、耐改竄性に優れている


つまり、

  • 保有している暗号資産「1000円」を「100000円」というデータに改竄しても、その改竄履歴が残るし、保有している暗号資産「1000円」を他人が盗み出しても、取引履歴に存在しない人間は扱えない。
  • どの人が電子絵画を誰が描いたのかが分かるし、その人の価値が上がれば、その人が生み出した電子絵画の価値も上がる。



ざっくり書くと、こんな感じかな・・・・・。 (実は僕も細かいところまでは分かっていない。ブロックチェーンむずかしい・・・・・。)



🔗NFTで考える、デジタル倫理について

技術はどんどん発達や進化をしていて、人々が思い浮かんだ事は大体実現できるようになる。



落語にも記載したように、会話という音声データをテキストに変換し、マイナンバーカードなどの個人に紐付くマスタデータに紐付ける事もできる。


2011年からイギリスで放送されているテレビドラマ『ブラックミラー』(Netflixで視聴可能)
本ドラマの「人生の軌跡のすべて」では、自分の記憶をすべて録画再生する事ができる。
本人は全てにアクセスできるが、空港などの機関では記憶の提出を求められる事もある。



果たして、技術的に可能だからといって実現してよいのだろうか。
実現した事による社会的影響は、好天となるか悪天となるか、どちらだろうか。



NFTは技術的には素晴らしいが、それを投資商材・投機商材として使うのはどうなのだろうか。
NFT詐欺に引っかかる事で、NFTは悪くないのに、NFT自体にスティグマ(負のレッテル)が押される事にはならないだろうか。



便利だからといって何でもかんでも使っていいわけではない。
正しく理解し、正しく使用する事が、技術を技術たらしめる事に繋がると、僕は思う。