「研修」の難しさ
以前、以下のようなツイートを見かけた。
"知らない"から研修しているのではなく、"できてない"から研修をしている。
非常に興味深いので掘り下げてみる。
🤔そもそも「研修」とは
Wikipediaで検索してみたが、「研修」ではヒットせず、「訓練」でヒットした。
そして、以下の記載がされている。
訓練(くんれん、トレーニングともいう)とは、
- 実際に、何らかのことを行って習熟させること
- 一定の目標に到達させるための実践的な教育活動
- 動物に何らかの学習をおこなわせるための系統的な方法
企業では研修(けんしゅう)ともいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%93%E7%B7%B4
なるほど確かに、「知ってる/知らない」ではなく、「できてる/できてない」がフォーカスである事が分かる。
なので、「訓練」ではなく「研修」という言葉によって抽象化される事で、複雑さを増しているとも考えられる。
🤔そもそも「できてる/できてない」とは
企業において「できてる/できてない」の指標はどこにあるのだろうか。
最も分かりやすいのは『評価制度』だろう。
年度目標を立てて、その目標の達成度により評価する。
では、その『評価制度』は何をもって評価されるのだろう。
評価制度を評価する事ができなければ、評価制度そのものを疑わざるを得ない。
更に、その『評価者』の評価は何もをってなされるのだろう。
『評価者』を評価しない事には、『被評価者』の評価の正当性を疑わざるを得ない。
🤔「現場人ではない人間」による研修の意義
研修とは訓練であり、習熟が目的である事が分かった。
また、「できてる/できてない」の指標としては、正当性のある評価制度および評価者により判断される事が分かった。
つまり、評価者自身が「できてる」という必要があるわけだが、ここで一つ問題にぶち当たる。
研修の実施は、現場担当ではなく人事担当などが行う事があるという点だ、
人事担当が現場レベルで「できてる」という事などあるのだろうか。
もちろん自分の事を棚に上げて「研修」を実施する事はできるが、果たしてそれで「研修」の目的を達成する事はできるのだろうか。
🤔「論語読みの論語知らず」「言うは易く行うは難し」
「知ってる」とう事はあっても、「できている」というのは難しい。
すなわち、論語読みの論語知らず。
すなわち、言うは易く行うは難し。
この教えを説くのは非常に難問だと思う。
つまるところ、「できてない事」については、研修のような場をもって詭弁を弄さず、背中を見せるだけでいいんだろうなと思う。
なので、「知らない事は説くが、できない事は説かない」というトンチみたいな回答に収束しそうである。