頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

今日を生きるために漫才を取り入れてみる。

最近、生きた心地がしない毎日を過ごしている。

仕事において特にそう感じる事があり、呆れや哀しみや憤りを感じながら終業時間を迎える日々。


こういった日々がどうしたら楽しくなるかは永遠の課題だが、今回は一日を「漫才」と捉えてみる事にする。




一日の始まりは、つかみから始まる。


つかみには、客イジりや相方イジり、小ボケや定番ボケなど多種多様に存在する。
「こういう雰囲気の芸人なんだな」という自己紹介と共に、「ここからネタが始まるぞ」という空気を作るために、非常に重要な役割を担う。

出社したら、まず初めにスタンドアップミーティングを行う。
出社直後の緊張状態をアイスブレイクできると共に、「今日も一日がんばるぞい」という空気を作る。




そして、漫才は本題に入る。


現代の漫才においては「しゃべくり漫才」と「コント漫才」に分けられる。
しゃべくり漫才」は、マイクの前に立ったまま会話をベースに話を進行させていくスタイル。
一方「コント漫才」は、マイクから離れて舞台上を大きく使いながら展開していくスタイル。

どちらにしても基本的なスタイルは、ボケが主観的に話を膨らませていき、ツッコミが客観的に指摘や訂正を入れるというものである。
基本スタイルを応用して、ボケとツッコミが入れ替わったり、どちらもボケてみたり、ツッコミのワードセンスによりボケを増大させたりなどの技術が用いられる。

仕事においても、チームや個人によってスタイルは様々存在し、それぞれが独自の技術を用いながら業務を遂行する。


基本から逸脱していたり、スタイルがいびつであったり、独特な技術を使っている人は、芸人にも会社員にも少なからず存在する。

多くの笑いを生めるのであれば受け入れられるし、速くて確実な成果物を生めるのであれば受け入れられる。

大して笑いも取れていないし舞台袖に芸人も集まっていないと、成長を見込んで舞台袖で指摘せざるを得ないし、
遅かったり低品質な成果物ばかり生んでいると、業務効率を懸念して指摘せざるを得ない。




最後は、オチを作って終わる。


ボケがオチを発した後、ツッコミは「あんたとはやってられんわ」「いい加減にしろ」「もうええわ」「やめさせてもらうわ」などでツッコみを入れ、漫才が終了する。
これらのツッコミには愛があり、本当にやってられなかったり、いい加減にしてほしいとは思っていない。
本気でやってられないと思ったら、それはもう解散を意味する。

仕事においても不満が増大する事がある。
その不満も「この会社/先輩/後輩/上司/部下とはやってられんわ」と思いながら退勤できるくらいであれば、まだ十分会社に属する価値はある。
本気でやってられないと思ったら、それはもう転職や退職を意味する。





漫才できているうちが華。



おもしろい事したいですね。