歩行者も、標識・標示を見て行動しましょう。
街中に溢れる標識・標示
街を歩いてみると、ありとあらゆる標識や標示を目にする。
しかしながら、そのうち半分も機能していないのではないかと錯覚する事がある。
(「半分の標識・標示が無駄」というワケではなく、「一つの標識・標示に対して、半分の人にしか有効に機能していないのでは」という意味)
自動車社会の標識・標示
自動車社会で生きるには、標識や標示を見て行動する事が必須となる。
例えば、駐停車禁止のエリア。
警視庁のHPによると、こんな感じ。自動車教習を受けていれば一通り勉強しているはずである。
(ref: http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotsu/jikoboshi/genin/chusha/ctihan.html)
- 駐停車禁止標識や標示のある場所
- トンネル
- 交差点とその側端から5メートル以内の部分
- 道路のまがり角から5メートル以内の部分
- 横断歩道、自転車横断帯とその側端から前後に5メートル以内の部分
- 安全地帯の左側とその前後10メートル以内の部分
- バス、路面電車の停留所の標識板(標示柱)から10メートル以内の部分
- 踏切とその側端から前後10メートル以内の部分
- 軌道敷内
歩行者社会での標識・標示
では歩行者はどうか。
歩行者の世界にも、もちろん標識や標示は存在する。
機能している標識・標示
よく機能しているモノとして、以下のようなモノが挙げられる。
横断歩道
横断歩道なんかはよく機能している標示かと思われる。
横断歩道でない場所での横断は危険であり、他の歩行者や運転手に迷惑を被る。
横断したくても横断歩道がない時、わざわざ横断歩道のところまで歩いて、信号を待ち、横断する。
路側帯
路側帯も立派に機能していると言える。
路側帯の外側は歩行者の通用のためにためにあり、また、緊急車両が通過する際に他の車両がこのエリアに侵入して、緊急車両を優先的に通す役割もある。
自転車がこのエリアを走っている事も稀に見かけるが、それにしても歩行者はここを歩いている。
階段
東京の階段には「左は上り、右は下り」という風に色分けされている階段をよく見かける。
これは岡山にいた頃にはあまり見かけなかった光景だ。
稀に守ってない人も見かけるが、8~9割の人間は標示に従い歩いているように思える。
機能していない標識・標示
では、機能していないモノは何があるか。
これを挙げるとキリがないが、ここではいくつかピックアップする。
駅のホームの停止禁止エリア
東京にある駅のうち、東京/新宿/渋谷/品川/池袋...のような主要となる駅には、たいてい「停止禁止エリア」が設けられている。
そのエリアは階段付近である事が多く、他の通行人の妨げになったり、階段付近という事で人が密集しやすい場所でもあるからだ。
駅の壁には啓発ポスターが貼られており、たまに「階段付近では立ち止まらないでください」というアナウンスも流れる。
しかしながら、この付近に立ち止まる人を散見する。
エスカレーター
エスカレーターにはこれといった標示がないのも問題だが、実は左右どちらに立っていいし止まってていい。
そもそも、歩くという行為自体が危険であるので、立ち止まるのが正しい使い方だ。
一般社団法人日本エレベーター協会もそう言っている。
(ref: http://www.n-elekyo.or.jp/instructions/escalator.html)
左だけ止まって右は歩くのは東京だけで、逆は大阪だけ。
その他の地域ではそういった事が見られないので気にする必要ないという声も聞こえてきそうなものだが、
東京の人口は1374万人、大阪の人口は886万人。
日本の人口は12700万人であるため、人口比だけでも約17%に問題がある事となる。
その他
また、これは標識や標示がないものであるが、
「横断歩道」では一旦立ち止まり、左右の確認を行い、車が来ている場合には車がどう動くのかを見てから歩き出す必要がある。
これをせず、歩行者優先で左右も見ずに、そそくさと歩く人を散見する。特に渋谷。
それで事故りそうな場面を何度も見てきた。運転手の立場だったら轢き回したくなる衝動に駆られる。
また、緊急車両の音が聞こえてきた時。
運転中であれば、どこから来ている音なのか判断して、低速にしたり、路肩に寄ったり、交差点に入らないようにしたりなどする必要がある。
しかしながら、歩行者は緊急車両の事など気にしていないかのように横断歩道に踏み入る。特に渋谷。
そして「危ないですからどいて下さい」と言われてもなお、足を早める事をしない。
訳が分からない。
何故機能しないのか
では、何故機能しないのか。いくつか考えてみた。
- デザインが粗悪
- デザインに統一性がない
- 罰則がない
- 本人の認識の欠落
- 標識・標示を見る習慣がない
まず、デザインの観点。
粗悪なデザインは見るモノを不快にさせる。
不快に思えば、嫌悪感を抱き、見ようとしないだろう。
また、道路標識・道路標示のように統制されたものでなく、各自治体や各施設で勝手に決めたモノになってくると、人はまず覚えようとしない。
認識齟齬が発生する可能性も出てくる。これでは標識・標示が意味をなさなくなる。
次に、罰則がないについて。
自動車社会では、標識・標示を守らなければ、切符を切られたり、罰金を支払ったりなどする。
歩行者社会ではこれがない。
啓発ポスターは啓発ポスターであって、「守らなければ罰則」ではない。
とはいえ、罰則がないなら守らなくていいという脳と心理がご臨終babyだけど。
最後に、本人の問題。
そもそも標識・標示に対する認識が薄い人間も稀にいる。
先程言ったような「守らなくても生きていける、誰にも怒られない」という心理なのだろう。
自分勝手で、自分本位で、傲慢で、身勝手で、餓鬼で、「誰もお前を愛さない」である。
また、そもそも見る習慣がないという人もいるだろう。
歩きスマホや爆音イヤホンなど、周囲の情報をシャットアウトして、自分の世界に浸りたいナルシスト。
これも同じように、「誰もお前を愛さない」である。
機能させるには
「デザイン」の統一は出来るだろうが、時間もかかるし、制度も増える。
また、それを定着するには時間がかかるであろう。
「罰則」については、街中を歩いてるだけで罰金を取られては堪ったものではない。危険行為はあるものの、車ほどの被害が生じるものでもない。
やはり「個人の意識レベル」を変えなければならない問題であることは明白である。
ではどうしたらよいか。方法としては2つある。
- 標識・標示自体を取りやめる
- 意識高い人が、意識低い事をしない
まず、「標識・標示自体を取りやめる」。
集団という性質上、標識や標示がなくとも規範が生まれてくるものである。
集団規範が生まれれば、集団圧力も生じては来るが、善行の方に傾く事が期待できる。
次に、「意識高い人が、意識低い事をしない」。
意識の低い人というのは、たいてい何も考えて生きていない。
水の上を流れに任せて動く木の葉のようなものだ。
逆に、意識の高い人は水となる。
流れを決めらる水が、木の葉を中心に流れを決めるなんて以ての外である。
例えば、
エスカレーターであれば、意識の高い人から左右に立つようにする。
横断歩道では立ち止まるし、
緊急車両が来たら歩行をやめる。
やれる人がやっていれば、やらない人も自然とやるようになる。
逆に、やらない人に合わせて、やる人がやらなくなったら、みんなやらなくなる。
集団規範とはそういうものである。
まとめ
良い集団規範を作っていきましょう。