ジェンダーフリーの自由と不自由
「ジェンダーフリー」は、本当に「フリー」なのか
昨今「ジェンダーフリー」について議論される事が多くなった。
「男女差別」という言葉にはネガティブな印象を感じるが、
「ジェンダーフリー」という言葉にはポジティブな印象を感じる。
ポジティブな印象があるからこそ、政府や企業は「ジェンダーフリー」という言葉を使用しているのだと思う。
しかし、本当に「ジェンダーフリー」はポジティブなのか。
そして、本当に「フリー(自由)」なのか。
「ジェンダーフリー」と「アンコンシャスバイアス」
例えば、IT業界が「ジェンダーフリーを掲げて採用活動します!」と言い始めるとする。
ジェンダーフリーを掲げて性差なく募集しても男性しか来ないし、
ジェンダーフリーを掲げて女性だけ募集しても批判しか来ない。
例えば、コスメ業界が「ジェンダーフリーを掲げて採用活動します!」と言い始めるとする。
ジェンダーフリーを掲げて性差なく募集しても女性しか来ないし、
ジェンダーフリーを掲げて男性だけ募集しても批判しか来ない。
これには、個人個人が普遍的に持っている「アンコンシャスバイアス」が関係している。
「アンコンシャスバイアス」による無意識的な偏見を自分に向けてしまっているため、
女性自身は「IT業界で働けるかな・・・。」と不安になり、
男性自身は「コスメ業界で働けるかな・・・。」と不安になる。
つまるところ、「ジェンダーフリー」として暗黙的に掲げられている性の対象者(上例の場合、IT業界だと女性、コスメ業界だと男性)が殻にこもってるだけのように感じる。
つまるところ、「ジェンダーフリー」という言葉にポジティブな印象を感じる事ができないように思える。
義務教育で習いましたよね?
「ジェンダーフリー」なんて言葉はどうでもよい。
義務教育で「職業選択の自由」「男女平等参画社会」と習ったのだから、個々で好きに働けばよい。
好きに働けばよいのに働かないなら、それは社会ではなく個人の問題。
日本はアメリカじゃないけど、日本だって自由の国なんだから、自由に働けばいい。
自由と不自由
自由過ぎて不自由さを感じるなら、不自由さを少し設けてあげればいい。
例えば「多角的な視点・視座・視野を取り入れるため、男女5名ずつ募集します」みたいに縛ればよい。
そうすれば参加障壁が格段に下がるので、結果的に同程度の人数が集まる。
わざわざ「ジェンダーフリー」なんて言葉を使わない方が、実現したい事を実現できる事も多い。
神様からお言葉を頂戴しています
”言葉”なんてものは、人間が作り上げた概念でしかないし、
”性別”なんてものは、神様が気まぐれで与えたものでしかないし、
更に高次元では性別なんて関係ないので、
あまり「ジェンダーフリー」という言葉に囚われずに生きるとよいと思います。