頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

立場が違えば意見も違う。正義の反対は別の正義。

エンジニアとして働いていると上流の意見と下流の意見が食い違う事がある。

立場が違えば意見が違う。

どちらも正しい事を言ってるし、だからこそ、どこに収束させればいいのかは毎回難しい。


そんな、上流と下流の葛藤についてラップバトルで表現した素敵な動画がある。

デルタ工業「開発vs製造ラップバトル」篇 www.youtube.com

歌詞はYouTubeの概要欄に記載されているので、是非読みながら聞いてみてほしい。


とてもいい。熱い。痺れる。


最近、テンションを上げたい時にコレをよく聞いている。

今日を生きるために漫才を取り入れてみる。

最近、生きた心地がしない毎日を過ごしている。

仕事において特にそう感じる事があり、呆れや哀しみや憤りを感じながら終業時間を迎える日々。


こういった日々がどうしたら楽しくなるかは永遠の課題だが、今回は一日を「漫才」と捉えてみる事にする。




一日の始まりは、つかみから始まる。


つかみには、客イジりや相方イジり、小ボケや定番ボケなど多種多様に存在する。
「こういう雰囲気の芸人なんだな」という自己紹介と共に、「ここからネタが始まるぞ」という空気を作るために、非常に重要な役割を担う。

出社したら、まず初めにスタンドアップミーティングを行う。
出社直後の緊張状態をアイスブレイクできると共に、「今日も一日がんばるぞい」という空気を作る。




そして、漫才は本題に入る。


現代の漫才においては「しゃべくり漫才」と「コント漫才」に分けられる。
しゃべくり漫才」は、マイクの前に立ったまま会話をベースに話を進行させていくスタイル。
一方「コント漫才」は、マイクから離れて舞台上を大きく使いながら展開していくスタイル。

どちらにしても基本的なスタイルは、ボケが主観的に話を膨らませていき、ツッコミが客観的に指摘や訂正を入れるというものである。
基本スタイルを応用して、ボケとツッコミが入れ替わったり、どちらもボケてみたり、ツッコミのワードセンスによりボケを増大させたりなどの技術が用いられる。

仕事においても、チームや個人によってスタイルは様々存在し、それぞれが独自の技術を用いながら業務を遂行する。


基本から逸脱していたり、スタイルがいびつであったり、独特な技術を使っている人は、芸人にも会社員にも少なからず存在する。

多くの笑いを生めるのであれば受け入れられるし、速くて確実な成果物を生めるのであれば受け入れられる。

大して笑いも取れていないし舞台袖に芸人も集まっていないと、成長を見込んで舞台袖で指摘せざるを得ないし、
遅かったり低品質な成果物ばかり生んでいると、業務効率を懸念して指摘せざるを得ない。




最後は、オチを作って終わる。


ボケがオチを発した後、ツッコミは「あんたとはやってられんわ」「いい加減にしろ」「もうええわ」「やめさせてもらうわ」などでツッコみを入れ、漫才が終了する。
これらのツッコミには愛があり、本当にやってられなかったり、いい加減にしてほしいとは思っていない。
本気でやってられないと思ったら、それはもう解散を意味する。

仕事においても不満が増大する事がある。
その不満も「この会社/先輩/後輩/上司/部下とはやってられんわ」と思いながら退勤できるくらいであれば、まだ十分会社に属する価値はある。
本気でやってられないと思ったら、それはもう転職や退職を意味する。





漫才できているうちが華。



おもしろい事したいですね。


日本史を「時代・首都・幕府・登場人物」の4軸でまとめてみた。

はじめに

以前、知識労働について調べてる時に、以下の疑問が沸いてきた。

  • 日本史には豪族とか貴族とか出てくるけど、そもそも天皇とか藤原氏って誰なんだ?
  • 平城京とか平安京とかあるけど、あれってそもそも何なんだ?
  • 都と幕府って何が違うんだ?


調べて分かったのが、ざっくりとこんな感じ。


という事で『時代・首都・幕府』に『登場人物』を加えた4軸でまとめてみた。



■■■首都も幕府もなかった時代(~694年)■■■


旧石器時代(首都:なし/幕府:なし)


農民「おらっ!石で武器とか食器とか作ったんで!おらっ!」


縄文時代(首都:なし/幕府:なし)


農民「移動生活面倒だし、定住生活しようぜ(村誕生)」
農民「みんな同じような土器作ってて分からんくなるから、俺の土器には模様つけとくわ」


弥生時代(首都:なし/幕府:なし)


神武天皇「九州から東征してきたで!ここ奈良を本拠地とする!(天皇誕生)」


できる農民    「稲作始めるで!効率良く作るし、高床式倉庫も作るで!(貧富の差が発生)」
できない農民   「稲作始めるで!うわ、めっちゃ難しいやん、、、(貧富の差が発生)」
野蛮な農民(=豪族)「俺の土地は俺の土地、お前の土地も俺の土地(貧富の差→身分の差。国誕生。)」


卑弥呼「豪族たちよ、私に従いなさい」
中国 「日本には女性が従えてる国があるんやな。興味深いから執筆しとこ(魏志倭人伝)」


古墳時代(首都:なし/幕府:なし)


大和・吉備・筑紫・出雲「四人揃って、四大王権!」
ヤマト王権      「偉い人が死んだ!死を弔うためにデカい墓を作ろう!」


飛鳥時代(首都:なし/幕府:なし)


物部氏     「仏教が百済から伝わってきた!仏教など要らぬ!神道大事!」
蘇我氏     「多文化認めなあかんで!仏教いるやろ!」
物部氏 VS 蘇我氏「そんなに言うなら対決じゃい!(丁未の乱)」


蘇我馬子崇峻天皇のやつ、気に食わんから殺したろ」
崇峻天皇「ギャー」
蘇我馬子「ついでに天皇任命したろ」
推古天皇「どうも、日本初の女天皇です」
聖徳太子「己の身分が分かりやすいように、色で判別できるようにしようで(冠位十二階)」


蘇我蝦夷 「息子よ。馬子も推古天皇聖徳太子も死んだし、俺らが政治握れると思わないか?」
蘇我入鹿 「父者よ。俺もそう思うわ」
中大兄皇子蘇我氏怖いから、入鹿の家を放火したろ」
中臣鎌足 「蘇我氏怖いから、蝦夷の家を放火したろ」(中臣鎌足藤原氏の始祖。藤原鎌足ともいう。)


天智天皇       「天皇に即位しました、中大兄皇子です。弟に王位継承しようと思いm...やっぱり息子にしようかn...ポックリ」
大友皇子(息子)    「息子である僕の方が王位継承すべきでしょ」
大海人皇子(弟)    「いや、元々弟の俺に王位継承するって言ってたんやぞ」
大友皇子 VS 大海人皇子「そんなに言うなら対決じゃい!(壬申の乱)」



■■■首都が作られる時代(694年~1185年)■■■


飛鳥時代(首都:藤原京/幕府:なし)


天武天皇天皇に即位しました、大海人皇子です。
     本拠地を奈良県橿原市・明日香村の周辺とし、名を藤原京とします」
持統天皇天武天皇が計画した藤原京を、僕が実現させました」
文武天皇「唐に倣って法律作ってみたよ。(大宝律令)」


奈良時代(首都:平城京/幕府:なし)


元明天皇「息子の文武天皇が死んだ...母ちゃん悲しいよ...
     息子の作った法律で新しい政治を行っていくために、本拠地を奈良県奈良市大和郡山市の周辺に移し、名を平城京とします。
     租・庸・調で徴税し、国・郡・里で土地を管理します」


聖武天皇「最近内乱が多くて怖いよぉ...怖いから逃げるために恭仁宮波宮、紫香楽宮と転々にするよ...けどやっぱり平城京に戻るよ...」


桓武天皇「最近仏教中心の考え方の寺院が影響力持ってきてて面倒だから、奈良から京都に遷都したいなぁ。
     平城京は地理的にも川とかないし、川が流れてる場所がいいなぁ。」


奈良時代(首都:長岡京/幕府:なし)


桓武天皇「本拠地を京都府乙訓郡の周辺に移し、名を長岡京とします。」
桓武天皇「・・・え、遷都の責任者が暗殺された?怖っ」
桓武天皇「・・・え、近親者が続々と不幸に見舞われるんだが?怖っ」
桓武天皇「・・・え、自然災害も発生するんだが?怖っ」
桓武天皇「・・・これ何かの祟り?怖いね?新しい都を探さなきゃね?」


平安時代(首都:平安京/幕府:なし)


桓武天皇  「長岡京は断念して、本拠地を京都府愛宕郡葛野郡の周辺に移し、名を平安京とします。」
坂上田村麻呂桓武天皇の名を受けて、蝦夷征服したったわ(初代征夷大将軍)」


桓武天皇「息子よ、近親婚で自滅した天武皇統のようにならないようにせんとな」
嵯峨天皇「父者よ、それは本当にそう」


平氏  「桓武天皇から姓を受けたぜ(武士の誕生)」
源氏  「嵯峨天皇から姓を受けたぜ(武士の誕生)」


嵯峨天皇「それにしても冬嗣よ、あんたの采配すごいな。」
藤原冬嗣「あざす」
藤原良房「父者(冬嗣)のおかげで皇族と関係を持てるようになったので、皇族以外で初の摂関になったで(摂関政治の始まり)」


平将門  「用心棒ばっかりやってられるか!俺は力あるんや!(承平の乱平将門の乱)」
藤原純友 「用心棒に頼ってられるか!俺も暴れ回ったるで!(天慶の乱藤原純友の乱)」
後三条天皇「摂関に政治任せてたら荒れるから摂関政治終わりな。代わりに院政開始な。(院政)」


鳥羽天皇       「ポックリ」
後白河天皇      「おい、鳥羽天皇の後継者はわしじゃ!」
崇徳上皇       「いや、鳥羽天皇の後継者はわしじゃ!」
後白河天皇 VS 崇徳上皇「そんなに言うなら対決じゃい!(保元の乱)」


後白河天皇   「勝ったぜ」
信西      「おい、後白河天皇の側近はわしじゃ」
藤原信頼    「いや、後白河天皇の側近はわしじゃ」
信西 VS 藤原信頼「そんなに言うなら対決じゃい!(平治の乱)」


平清盛   「後白河天皇のやつ、気に食わんから幽閉したろ」
以仁王   「お父さんが幽閉された。院政も封じ込められてるし、マジで腹立つ」
平氏 VS 源氏「源平合戦じゃい!(一ノ谷の戦い)」
平氏 VS 源氏「源平合戦じゃい!(屋島の戦い)」
平氏 VS 源氏「源平合戦じゃい!(壇ノ浦の戦い)」



■■■幕府ができた時代(1185年~1867年)■■■


鎌倉時代(首都:平安京/幕府:鎌倉幕府


源頼朝  「壇ノ浦の戦い平氏滅亡させたったぞ。守護・地頭の任免権くれや。」
後白河法皇「ええで」
源頼朝  「ほな本拠地の鎌倉に幕府作るで。武家政権の誕生や。
      幕府はみんなに御恩するから、何かあったら奉公してな。」


後鳥羽上皇 「何か、やっぱり武家に政権握られるの嫌やな」
北条政子  「みなさん。御恩と奉公です。今が奉公の時です」
朝廷 VS 幕府「対決じゃい!(承久の乱)」


モンゴル兵「侵略してやるー、うわー、やられたー(元寇)」
武家   「奉公のわりに御恩が少なくね?幕府大丈夫か・・・?」


後嵯峨天皇「次の天皇、どっちの子供にするか決めなきゃなー...ポックリ」
幕府   「亀山天皇(大覚寺統)と後深草天皇(持明院統)が10年ごとに皇位交代って事で(両統迭立)」
公家   「朝廷の扱い雑じゃね?もっとちゃんと考えろよ?幕府大丈夫か・・・?」


後醍醐天皇     「武家からも公家からも不満が上がってる。これは倒幕するべきなのでは。(正中の変元弘の乱)」
後醍醐天皇     「倒幕できてしまった。これからは天皇が政治する事にするわ(建武の新政)」
足利尊氏      「北条氏を討伐してくるから、征夷大将軍にならしてくれや」
後醍醐天皇     「それはあかん」
足利尊氏      「なんでやねん、武家に厳し過ぎんねん、ふざけんなや」
後醍醐天皇足利尊氏「対決じゃい!(建武の乱)」


室町時代(首都:平安京/幕府:室町幕府


光明天皇「あんたが征夷大将軍や」
足利尊氏「やったぜ、長い道のりだったぜ。ほな、京都に室町幕府作るで。」
光明天皇「俺らは北朝やけどな、後醍醐のやつが南朝作りよったんや」
足利尊氏「ほないつか統一せんとあかんわな」


足利義満「三代将軍やで!南北朝を統一したったわ!」
足利義満「三代将軍やで!隠居するために金閣寺作ったったわ!」
足利義満「三代将軍やで!一休さんとトンチ合戦したったわ!」


足利義政「八代将軍やで。子供できんかったし、弟に政権譲るわ」
足利義政「八代将軍やで。子供できてもうたわ、やっぱ息子に政権握らせようかな」
足利義政「八代将軍やで。後継者決めるの面倒臭いから、自分らで勝手に決めてもらってええで」
足利義視(弟) 「おい、俺やろ」
足利義尚(息子)「いや、俺やろ」
義視 VS 義尚  「対決じゃい!(応仁の乱)」


農民「今なら幕府倒せるのでは?(一揆の始まり)」
守護「今なら幕府倒せるのでは?(下剋上の始まり)」


ポルトガル「お届け物でーす(鉄砲伝来)」
スペイン 「お届け物でーす(キリスト教伝来)」


今川義元「信長の父親が死んだらしい。信長は戦歴少ないし軍事力も少ないし勝てるやろ。攻め入ったれ。」
織田信長今川義元、討ち取ったりー(桶狭間の戦い)」


足利義昭「13代将軍が倒されたから、幕府復興手伝ってくれんじゃろうか」
織田信長「ええで」


足利義昭「やっぱり信長の言いなりになるの嫌だから、信玄さん助けて」
武田信玄「ええで」
織田信長「武田軍が攻め入ってきた、家康さん手伝ってくれ」
徳川家康「ええで」
武田軍 VS 信長・家康軍「対決じゃい!(三方ヶ原の戦い)」


足利義昭「武田軍が勝ったけど、まだ信長生きてんのかい。槇島城に立てこもっておこう」
織田信長「何じゃあいつ、恩を仇で返しやがって、マジでふざけんなし(槇島城の戦い)」
幕府  「幕府の将軍が死んじゃったので、室町幕府はこれにて終了でーす」


安土桃山時代(首都:平安京/幕府:なし)


明智光秀織田信長、討ち取ったりー(本能寺の変)」
豊臣秀吉明智光秀、討ち取ったりー(山崎の戦い)」


豊臣秀吉      「ポックリ」
五大老徳川家康) 「(どうする・・・?)」
五大老毛利輝元) 「(どうする・・・?)」
五大老前田利家) 「(どうする・・・?)」
五大老宇喜多秀家)「(どうする・・・?)」
五大老小早川隆景)「(どうする・・・?)」


前田利家「ポックリ」
石田三成「前田さん、後は僕に任せてください」


東軍    「徳川!」
西軍    「石田!毛利!宇喜多!小早川!」
東軍 VS 西軍「いざ・・・勝負!!!(関ヶ原の戦い)」


▼江戸時代(首都:平安京/幕府:江戸幕府


後陽成天皇「あんたが征夷大将軍や」
徳川家康 「あざーす。ほな、江戸に江戸幕府作るで。
      これからは幕府も朝廷も対等な(禁中並公家諸法度)」


幕府  「財源が米から金に変わった。みんな米を作らなくなった。困った。」
徳川吉宗享保の改革で飢饉脱出!(失敗)」
松平定信寛政の改革で飢饉脱出!(失敗)」
水野忠邦天保の改革で飢饉脱出!(失敗)」


ロシア 「通商しようや」
イギリス「通商しようや」
アメリカ「通商しようや」
幕府  「嫌だ!(異国船打払令。漂流者を助けてくれたのに砲撃したりしてた)」


イギリス VS 清「アヘン戦争じゃ、おら」
幕府     「イギリスの方が小さいのに、清に勝ったらしい...怖い...(イギリス船に物資を提供)」


ペリー「開国してや」
幕府 「黒船だ...黒いしデカい...怖い...(アメリカ船に物資を提供)」


幕府  「朝廷さん、藩さん、どうしたらいいかな」
朝廷・藩「は?今まで意見求めて来なかったのに、急に求めてくんなや」


井伊直弼「怖いから日米和親条約とか日米修好通商条約に調印したよ」
一橋派 「は、ふざけんなし」
幕府  「うるせえ(安政の大獄で反対派を罰する)」
水戸藩 「は、ふざけんなし(桜田門外の変井伊直弼を罰する)」


薩摩藩「幕府は朝廷とあるべきでしょ(公武合体派)」
長州藩「幕府なくていいし、天皇中心で外国打ちのめそうや(尊王攘夷派)」
土佐藩「朝廷に仕えるという意味では同じなんだし軍事協力しようや(薩長同盟)」


幕府「討幕怖いので、政権を朝廷に返します(=大政奉還)」



■■■幕府が崩壊した後の時代(1867年~)■■■

以前まとめた以下のエントリーを参照。(まとめるのに疲れてしまった)

tanakanata7190.hatenablog.jp



最後に

学生時代に学んだはずなのに、改めて学び直すと、新しい発見がたくさんあった。

権力や武力は持ってしまうと争いに発展してしまうのは今でも変わらないし、歴史から学べる事はたくさんあるわね・・・。

(※なお、この記事は今後も都度調べて、都度更新していく予定。)

「心理的安全性」を高めるために、テレビ番組のMCを真似てみる。

心理的安全性とは

1999年にハーバード大学の組織行動学者であるエイミー・エドモンドソンが「Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams」という論文を発表した。


2016年にGoogleのリサーチチームが「心理的安全性を高めると、チームのパフォーマンスと創造性が向上する」という事を発見・発表した。


心理的安全性」という言葉が世に出るようになってから間もなくしてコロナ禍となり、今までとは異なるコミュニケーション体系を取る事を余儀なくされ、必然的に概念が広まっていった。


論文のINTRODUCTIONを読んだので要約してみた

昨今はVUCAな時代である。

  • Volatility : 変動性
  • Uncertainty : 不確実性
  • Complexity : 複雑性
  • Ambiguity : 曖昧性


VUCAな時代を生き抜くには、以下のような行動が必要となってくる。

  • 質問する
  • 助けを求める
  • 実証されていない行動を試す
  • フィードバックを求める


しかし、上記の行動には、以下のような不安要素を抱えるリスクが介在している。

  • Ignorant : 無知だと思われる不安
  • Incompetent : 無能だと思われる不安
  • Negative : 否定的だと思われる不安
  • Disruptive : 破壊的だと思われる不安


組織では多かれ少なかれ評価が行われており、評価の脅威によって上記の不安要素を更に深刻化させている。
そのため、リスクを回避して評価を受けるために、上記の行動を起こさないという選択が取られてしまう。


上記のリスクを冒すのに適した職場環境である事を認識する指標として「心理的安全性」という言葉を用いている。
心理的安全性が高く、リスクを冒せる職場では、以下のようなことはないと信じられている。

  • 自分が間違いを犯しても、他の人がそのことで罰を与えたり、自分を低く評価したりすることはない
  • ヘルプや情報、フィードバックを求めても、他の人が恨んだり罰したりすることはない


結果的に、上記のようなリスクを取る自信を育み、それによって学習から得られる関連した利益を得ることができる。


心理的安全性を高めるために

GoogleのreWorkでは、以下のように記載されている。

  1. 仕事を実行の機会ではなく学習の機会と捉える。
  2. 自分が間違うということを認める。
  3. 好奇心を形にし、積極的に質問する。

「効果的なチームとは何か」を知る - re:Work


リクルートMSでは、以下のように記載されている。

  1. 心理的安全性を体験できる仕組みをつくる
  2. 特定の人に偏らず発言できるようにする
  3. 何のために発言するのか共通した価値観を持つ
  4. アサーティブ・コミュニケーションを心掛ける
  5. 飲み会や食事会を実施する

心理的安全性とは - 人材育成・研修・マネジメント用語集 - Recruit Management Solutions


その他のサイトでも大概同じような事が書かれている。


テレビ番組のMCを真似てみる

MC(Master of Ceremony)とは、司会者であり進行役である。

番組の流れを把握し、テーマごとに区切って、ゲストやひな壇芸人からトークを引き出す。


アメトーーク』や『踊るさんま御殿』などを例に挙げると分かりやすいだろう。

一つのトークテーマをゲストやひな壇芸人に満遍なく振る。
話が盛り上がったら掘り下げたり他の人に振ってみたり、
話が脱線しそうになったら道筋を戻したり、
話が尽きたらトークテーマを変えたりなど、全体のファシリテートを行っている。


MCが全員の表情を見ながら、誰が話したそうにしているか、発言量が特定の人に偏ってないか、まだ話してない人はいないかなどを把握しながら、全員で番組を作り上げる。


無知だと思われても、無能だと思われても、否定的だと思われても、破壊的だと思われても、必ずMCが拾って適切な着地点を見つける。
そのためにはひな壇のガヤ芸人を使う事だってあるし、MCを補助するために裏回しが存在したりもしている。


仕事でも同じようにすればよい。

会議のファシリテーターである議長が全体を把握し、全員の表情や声色を見ながら会議を回していく。
発言してない人には名指しで振ってみたり、意見に偏りが出ないように反対意見を募ってみたり、話が盛り上がらなかったらトークテーマを変えてみたり。
自信がないのであれば、事前に参加者にネゴっておいて、裏回ししてもらうという手段も取れる。


テレビはオワコンだとか言われる事もあるが、テレビから学べる事はまだまだたくさんある。

知識労働における労働とは?

😶労働の分類

まず、労働は「肉体労働」「知識労働」の2種類に分けられる。


肉体労働は「ブルーカラー」とも呼ばれ、製造業・建設業・鉱業・農業・林業・漁業などの業種を指す。
知識労働は「ホワイトカラー」とも呼ばれ、事務職や管理職などを指す。

(「ブルーカラーは業種なのに、ホワイトカラーは職種なのか」という疑問を持った人もいるだろうが、僕も同じ疑問を持ったので、ここでは深掘りしない事にする)


歴史<日本史編>

元々人間は狩猟や農耕で生活していた。
狩猟や農耕が上手い人は重宝されて権力を得た。
権力によって土地を獲得して管理していき豪族が誕生した。
豪族の権力が拡大したため、貴族が豪族を制した。
貴族が法を作り、法の下で土地が分配され、法の下で納税が課せられた。


土地を耕し、農作物を生産し、年貢として納めている農民は、「肉体労働」であるといえる。
一方、土地の管理や、生産性向上の指示、それによる対価を得る貴族は、「知識労働」であるといえる。


歴史<哲学史編>

以前、哲学の歴史についてまとめたが、改めて引用して記載する。

tanakanata7190.hatenablog.jp


西洋哲学は、奴隷制度により下級市民に肉体労働させていたため、高級市民は暇になり、あれこれ思考を働かせるようになった。
東洋哲学は、カースト制度により下級市民に肉体労働させていたため、司祭などは暇になり、あれこれ思考を働かせるようになった。

この思考があらゆる考えのきっかけになり、哲学として産声を上げた。


日本史とは若干異なるが、概ね似たような感じで「肉体労働」と「知識労働」が分けられている。


😶どちらが優位とか劣位とかそういう話ではない

知識労働」という言葉のせいで語弊が生まれそうだが、知識労働者の中にも馬鹿は存在する。

まともに管理ができなくて、逆に生産性を下げてしまう人もいれば、 職権乱用によって富を得ようとして、逆にクーデターを起こされてしまう人もいる。


「肉体労働」も言葉のせいで語弊が生まれそうだが、知者も数多く存在する。

作業効率を上げたり、ムリムダムラを省いて、生産性を向上する人もいれば、 過酷な労働条件に異を唱えて、労働組合を作ったりクーデターを起こす人もいる。


😶「知識」と「馬鹿」と「ビジネス」の三角関係

「知識」は「ビジネス」の役に立つ。 生産性向上や販路拡大のために知識を生かして、効率的に利益を得る事ができる。

しかし、「知識」は「馬鹿」には通じない。 馬の耳に念仏だし、馬鹿に付ける薬はないし、馬鹿は「ビジネス」を扱う事ができない。


知識は馬鹿に通じないし、
馬鹿はビジネスを扱えないし、
ビジネスは知識に抗えない。


ビジネスを成功に導き、人間関係を豊かにしていくためには、この三角関係が非常に重要になってくる。


😶知識労働における労働とは?

肉体労働に比べて知識労働というのは、成果に即時性がないし、成果の効果測定も難しい。

あらゆる情報をインプットし、あらゆる可能性を検証し、最終的に実践して、初めて効果が得られる。 その効果も良いか悪いかは少し時間が経ってみないと分からない事もあるし、再現性のある効果なのかも不明である。


アウトプットするのが仕事というのは当たり前だが、インプットするのも仕事だし、考える事も仕事と言われると、一体どこまでが仕事なのだろう。


タバコ休憩も仕事?
ネットサーフィンも仕事?
読書も仕事?

通勤時間中に仕事の事を考えてるのも仕事?
休日に仕事の事を考えてるのも仕事?


これらを全て「仕事」として全部認めてたら訳が分からなくなる。 だから、ある程度縛るために法律や就業規則があるのだろう。



・・・と、経営者側の立場で考えてみたけど、「知識労働」の概念ってめちゃめちゃ難しいな。

ジェンダーフリーの自由と不自由

ジェンダーフリー」は、本当に「フリー」なのか

昨今「ジェンダーフリー」について議論される事が多くなった。


「男女差別」という言葉にはネガティブな印象を感じるが、
ジェンダーフリー」という言葉にはポジティブな印象を感じる。

ポジティブな印象があるからこそ、政府や企業は「ジェンダーフリー」という言葉を使用しているのだと思う。


しかし、本当に「ジェンダーフリー」はポジティブなのか。
そして、本当に「フリー(自由)」なのか。


ジェンダーフリー」と「アンコンシャスバイアス」

例えば、IT業界が「ジェンダーフリーを掲げて採用活動します!」と言い始めるとする。

ジェンダーフリーを掲げて性差なく募集しても男性しか来ないし、
ジェンダーフリーを掲げて女性だけ募集しても批判しか来ない。


例えば、コスメ業界が「ジェンダーフリーを掲げて採用活動します!」と言い始めるとする。

ジェンダーフリーを掲げて性差なく募集しても女性しか来ないし、
ジェンダーフリーを掲げて男性だけ募集しても批判しか来ない。


これには、個人個人が普遍的に持っている「アンコンシャスバイアス」が関係している。

「アンコンシャスバイアス」による無意識的な偏見を自分に向けてしまっているため、
女性自身は「IT業界で働けるかな・・・。」と不安になり、
男性自身は「コスメ業界で働けるかな・・・。」と不安になる。


つまるところ、「ジェンダーフリー」として暗黙的に掲げられている性の対象者(上例の場合、IT業界だと女性、コスメ業界だと男性)が殻にこもってるだけのように感じる。


つまるところ、「ジェンダーフリー」という言葉にポジティブな印象を感じる事ができないように思える。


義務教育で習いましたよね?

ジェンダーフリー」なんて言葉はどうでもよい。


義務教育で「職業選択の自由」「男女平等参画社会」と習ったのだから、個々で好きに働けばよい。

好きに働けばよいのに働かないなら、それは社会ではなく個人の問題。


日本はアメリカじゃないけど、日本だって自由の国なんだから、自由に働けばいい。


自由と不自由

自由過ぎて不自由さを感じるなら、不自由さを少し設けてあげればいい。


例えば「多角的な視点・視座・視野を取り入れるため、男女5名ずつ募集します」みたいに縛ればよい。

そうすれば参加障壁が格段に下がるので、結果的に同程度の人数が集まる。


わざわざ「ジェンダーフリー」なんて言葉を使わない方が、実現したい事を実現できる事も多い。


神様からお言葉を頂戴しています

”言葉”なんてものは、人間が作り上げた概念でしかないし、

”性別”なんてものは、神様が気まぐれで与えたものでしかないし、

更に高次元では性別なんて関係ないので、

あまり「ジェンダーフリー」という言葉に囚われずに生きるとよいと思います。

「哲学」について改めてまとめた。

3年前、ベスト新書から出版されている「使う哲学」を読んでまとめて、ブログを書いた。

tanakanata7190.hatenablog.jp

その後も哲学について勉強したり考えたりする事が多かったので、改めて勉強し直してまとめてみた。


😶哲学とは

知を愛するという意味の「愛知」を分野・学問。
英語では「philosophy(フィロソフィー)」という。


😶分類

大きく分けると、「西洋哲学」「東洋哲学」に分類される。

前者は「イスラム哲学」「ヨーロッパ哲学」に分類され、
後者は「インド哲学」「中国哲学」「日本哲学」に分類される。


😶西洋哲学と東洋哲学の違い

最初は、どちらも暇人によって作り出された。

西洋哲学は、奴隷制度により下級市民に肉体労働させていたため、高級市民は暇になり、あれこれ思考を働かせるようになった。
東洋哲学は、カースト制度により下級市民に肉体労働させていたため、司祭などは暇になり、あれこれ思考を働かせるようになった。

この思考があらゆる考えのきっかけになり、哲学として産声を上げた。


西洋哲学は、"議論"から"真理"へ辿り着こうとする。
東洋哲学は、"真理"から"議論"へ発展する。

なので、
西洋哲学は、プラトンが「理想主義」を掲げてるのに弟子アリストテレスは「現実主義」を掲げたり、「イギリス経験論」が生まれたかと思えば「ドイツ観念論」が生まれて、議論が発展して真理に近付こうとする。
東洋哲学は、釈迦が仏陀となり、仏陀こそ真理となり、「仏陀はこう考えてたんだ!」という感じで真理をベースとして議論が発展する。


😶世紀別:西洋哲学の主義の軌跡

■紀元前6世紀~:根源主義【radicalism(ラディカリズム)】

▼説明

(「根源主義」なんて言葉はないけど、他と比較するために分かりやすい表現方法として採用した。ゴメン。)

▼主な人物


■紀元前5世紀~:相対主義【relativism(レラティビズム)】

▼説明(Wikipedia

相対主義は、経験事象に対する見方が、その他の経験事象に対する見方との相対的関係すなわち依存関係においてしか客観的にはありえない、という考え方である。
相対主義 - Wikipedia

▼概要

万物の根源は何だって話をしている中で、ソフィスト=賢い人が誕生。 (あれこれ考える人が出てきたというだけの話)

ソフィストは教えと引き換えに金銭を受け取っていた。 (現代でいう教師のような存在)

▼主な人物


■紀元前4世紀~:主知主義【intellectualism(インテレクチュアリズム)】

▼説明(Wikipedia

主知主義とは、人間の精神(魂)を「知性・理性(理知)」「意志・気概」「感情・欲望」に三分割する見方[1]の中で、知性・理性の働きを(意志や感情よりも)重視する哲学・神学・心理学・文学上の立場のこと。知性主義とも言う。
主知主義 - Wikipedia

▼概要

ソフィストが唱える相対主義は、観点を変えさえすれば、どのような異なる解釈判断も可能であった。 つまり詭弁であり、普遍的な思想とは言えないのであった。

そこで、ソクラテスが登場し「勇気とは?」「正義とは?」と、ソフィストを問い質す。 すると、ソフィストは答える事ができず、たじろいだ。 これに感銘を受けた若者たちが「新たなソフィストだ!」として、ソクラテスが誕生した。

▼主な人物


■紀元前4世紀~:理想主義【idealism(アイディアリズム)】

▼説明(Wikipedia

哲学において観念論もしくはイデアリスムとは、さまざまな意味があるが、認識の妥当性に関する説の一つで、事物の存在と在り方は当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方などを指す。
観念論 - Wikipedia

▼概要

ソクラテスの弟子として、プラトンが誕生。

プラトンは「ソクラテスは哲学者で、ソフィストは知者」と明確に区別した。

▼主な人物


■紀元前3世紀~:現実主義【realism(リアリズム)】

▼説明(Wikipedia

現実主義とは、無政府状態の国際関係を国益と勢力均衡の観点から分析する国際政治学の主要な理論を言う。
現実主義 - Wikipedia

▼概要

プラトンの弟子として、アリストテレスが誕生。

アリストテレスプラトンイデア論には反対し、現実の方に本質があるとした。

▼主な人物


■紀元前3世紀~:ギリシャ主義【hellenism(ヘレニズム)】

▼説明(Wikipedia

ヘレニズムまたはギリシア主義、ギリシャ主義とは、ギリシア人(ヘレネス)の神話的祖先「ヘレーン」に由来する語。その用法は様々である。
ヘレニズム - Wikipedia

▼概要

アレクサンドロスの死亡以降の時代。

その昔、「ギリシア文化」と「オリエント文化」が存在した。 アレクサンドロスが東方遠征した事により、文化が融合して「ヘレニズム文化」が誕生した。

「ヘレニズム文化」の配下では、以下3つの流派が存在した。 ちなみに、この思想は長く続き、次に出てくる「イギリス経験論」まで続く。

▼主な人物(というか流派)

  • ストア派  「苦痛であっても、善行はしましょう」
  • エピクロス派「苦痛は回避しましょう」
  • 懐疑派   「確定的なものは何もない」


■16世紀~:経験主義【empiricism(エムピリシズム)】

▼説明(Wikipedia

経験論、あるいは、経験主義とは、人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である。
経験論 - Wikipedia

▼概要

提唱者はフランシス・ベーコン

後述する合理主義は演繹法なのに対し、経験主義は帰納法

▼主な人物


■17世紀~:合理主義【rationalism(ラショナリズム)】

▼説明(Wikipedia

合理主義哲学は、17-18世紀の近代哲学・認識論における一派。大陸合理主義、大陸合理論とも呼ばれる。
合理主義哲学 - Wikipedia

▼概要

提唱者はルネ・デカルト。 経験主義に対する立場として誕生。

経験主義は帰納法なのに対し、合理主義は演繹法

▼主な人物


■20世紀半ば~:実存主義【existentialism(エクステンシャリズム)】

▼説明(Wikipedia

実存主義とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在に対する現実存在の優位を説く思想。
実存主義 - Wikipedia

▼主な人物


■20世紀半ば~:本質主義【essentialism(エッセンシャリズム)】

▼説明(Wikipedia

本質主義とは、本質(事物の変化しない核心部分)を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその本質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えをいう。
本質主義 - Wikipedia

▼主な人物

  • エトムント・フッサール  「エポケー」「間主観性
  • モーリス・メルロ・ポンティ「身体を中心にして人間を捉える」


■20世紀半ば~:構造主義【structuralism(ストラクチャリズム)】

▼説明(Wikipedia

構造主義とは、狭義には1960年代に登場し主にフランスで発展していった20世紀の現代思想のひとつである。
構造主義 - Wikipedia

▼主な人物


■20世紀後半~:ポスト構造主義【post-structuralism(ポスト・ストラクチャリズム)】

▼説明(Wikipedia

ポスト構造主義は1960年後半から1970年後半頃までにフランスで誕生した思想運動の総称である。
ポスト構造主義 - Wikipedia

▼主な人物



参考サイト

tanakanata7190.hatenablog.jp

note.com

www.nekopajamas.net

genzi1013.hatenablog.com