頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

似て非なる「抽象画」と「具象画」と「人間」

抽象画っていいよね

美術館や美術展に出かけて、一つひとつの作品を見て回る。
とある抽象画の前で立ち止まり、
「何を意図して書いたんだろう」「何でこんな配色なんだろう」「もしかしたらこうなのかもしれない」
とあれこれ考える時間が好き。
(大体時間を気にしてすぐに立ち去るが、出来る事なら何時間でも見ていたい)

「正解がない」からいい

厳密にいうと""作者にとっての正解""はあるのだろうから、「正解がない」とは言えないかもしれない。
ただ、作者自身も正解がない状態で作り上げた作品なのかもしれないから、正解がないというのも正解なのかもしれない。
答えは作者に聞いてみないと分からないが、そんな事をしていては芸術は成り立たない。

「抽象画が分からない」と言う人

大丈夫、僕も抽象画なんて分からない。
逆に考えると、「具象画なら分かるの?」とも思う。
ちなみに僕は、抽象画も分からないけど、具象画も分からない。
というか分かりっこない。

「物自体は認識できない」byカント

近代哲学のイマヌエル・カントは『物自体』という中心概念を持ち、「物自体は認識できない」とした。

例えば「リンゴ」。
我々には「赤い」「丸い」と見えているが、
同じ人間であっても、
色盲の人であれば、別の色に見えているかもしれないし、
老眼の人であれば、輪郭がボケているかもしれない。

また、
他の生物はモノクロに見えているかもしれないし、もっと鮮明に見えているかもしれない。
ノミのように小さな生物であれば、丸いという形すら分からないかもしれない。

というように、物自体を認識し捉える事は出来ず、"概念を共有している"に過ぎない。

「美のイデア」byプラトン

古代哲学のプラトンは『イデア』という概念を説いた。
Wikipediaから抜粋すると、以下となる、

本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2%E8%AB%96

例えば「薔薇」。
美しいという人もいれば、そうでない人もいる。
薔薇という物質そのものには「美」はなく、我々がそういう観念を持っているというだけ。
つまり、美は外界にあるものではなく、人間の内的な主観的な感情である。
という事であり、
薔薇を美しいと感じようが感じまいが、美そのものは存在するし、普遍的なものである。という事。
(自分で書いてて分からなくなってきた)

似て非なる「抽象画」と「具象画」

作者に聞いてみないと分からないのが美術作品。
その作者ですら物自体を捉えられてはいない。
観覧者が「美しい」と思って見ている作品も、
作者は「美しくない」を作品にしているのかもしれない。

ちなみに、宗教画とか歴史画とか風刺画とかはまた違うと思いますよ。
その時の時代背景とかが書かれてるはずなので。
まあそれも、作者に聞いてみないと分からないですが。

人間関係も同じ

感性なんて人ぞれぞれだし、目に見えるものではない。
ただ、感性そのものは存在するし、それは普遍的なものではある。

「何考えてるのか分からない人」は抽象画的なのかもしれないし、
「感情がすぐ顔に出る人」は具象画的なのかもしれない。

ただどちらも、何を思って何を感じているのかは、本人のみぞ知る世界。
いや、本人も知らない世界なのかもしれない。


頭の中がごちゃごちゃしたまま記事にしたら、ごちゃごちゃした記事になった((