頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

親による「コラッ!」と、条件づけ

「コラッ!」

電車や街中、商店街やデパートなど。
ありとあらゆるところに危険が潜んでいる。

子供はその危険性を知らないので、突飛な行動に走り始める。

そして、それを見た親は「コラッ!」と声をあげる。

やめる子供、やめない子供

「コラッ!」と言って、やめる子供もいれば、そのままやめない子供もいる。
「コラッ!」という言葉は万能ではないのだろうか。(万能なモノなど存在しないので有り得ないが)

そもそもの意味

そもそも、「コラッ!」という言葉そのものには意味がない。
意味がないと言っては語弊があるが、此れから由来して訛った言葉らしいが、威圧の意味は無い。

条件づけ

心理学では、「条件づけ」という学習法がある。
条件づけには2種類あり、「古典的条件づけ」「オペラント条件づけ」がある。
そして、条件づけの際に、刺激と反応を結びつける手段を「強化」と呼び、結びつけを解く手段を「消去」と呼ぶ。
その「強化」にも、段階と正負の種類があり、
段階では、生得的な「一次的強化」と、経験的な「二次的強化」があり、
正負では、好ましい行動を取ろうとする「正の強化」と、好ましくない行動を取らまいとする「負の強化」がある。

「コラッ!」は、一次的強化?二次的強化?

「コラッ!」と言えば万人が行動のやめるのであれば、それは「一次的強化」によるものと言える。
しかしながら、やめる子供とやめない子供がいるという事は、個々人の経験によって左右される。
すなわち「二次的強化」によるものと言える。

「コラッ!」は、正の強化?負の強化?

これは教育者(親/親戚/教師...)に依存する。
「コラッ!」という言葉の後に、手を挙げたり罵倒をしたり物を取り上げたりする、嫌悪的な刺激を与えれば「負の強化」となるし、
「コラッ!」という言葉の後に、目を見て何が悪かったのか反省させ、反省したら許す、愛好的な刺激を与えれば「正の強化」となる。

やめる子供、やめない子供の背景を推測

やめる子供は、以前悪い事をした時に、
親に「コラッ!」と叱られた上に、何かしらの刑罰を食らっており、これ以上叱られたくないからやめるように条件づけられていると推測できる。

やめない子供は、以前悪い事をした時に、
親に「コラッ!」と叱られていない、もしくは、叱られてたとしても刑罰を食らっていないので、やめるように条件づけられていないと推測できる。
もしかすると、その後におやつでも与えられてるんじゃないかくらいの気持ちさえ芽生える。

子供の行動を止めたい時

強化子となる刺激を理解しておく事が重要である。
「コラッ!」で止まるのか、他の言葉で止まるのか、言葉以外の他の方法で止まるのか。

「コラッ!」と言っても止まらないのであれば、
それはつまり、親が子を理解していない証拠であり、
また、親も自分を理解していない証拠とも言える。

もっと言うなれば、
叱ってる風に見せている」だけであり、本気で叱ってなんかいない。

大人の例:DV

この条件づけは子供に限った話ではなく、大人でも言える話である。
DVなんかが良い例かと思う。

暴力や暴言による刺激と、恐怖や不安という反応を結びつける事により、「強化」を行う。
更に、反応後に優しくする事によって、「消去」を行う。
この、「強化」と「消去」を連続で行う事を「部分強化」と呼ぶ。

この部分強化は厄介者で、間に消去を挟んでいるにも関わらず、消去抵抗が高い(=なかなか依存から抜け出せない)傾向にある。
これを「部分強化効果」「ハイフレンズ効果」と呼ぶ。

ギャンプル依存症も同じである。
浪費による刺激と、不安による反応を結びつけた「強化」。
そして、稀な報酬による「消去」。

ちなみに、いくら抵抗しても無駄だと分かった時、「学習性無力」が生じる。
こうなってしまうと、刺激から逃れる感情すらも失う。

まとめ

条件づけについて知っておくと、
学習者に学習させたい時には、有用に働く事がある。
ただ、悪い方向に使わないようにだけしてほしい。

また、他人がチンケな言動をしていたら、不正な条件づけがなされている人なんだなくらいに思えるようになる。
もしかしたら治療中なのかもしれないので、そっと見守ってやる必要もある。