頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

ルール>モラル>マナー→行動

1人で2席以上を使う神経

しばらく前にこんな記事を書いた。 tyaunuakkia.hatenablog.jp

電車に限らず、カフェでもそうですね。
カウンターで隣の空席に荷物置いてる人。
誰か座るかもしれないって思わないんでしょうかね。

類似事象:折り畳み傘 on テーブル

つい先日、こんな事があった。

雨の日の朝、会社に着いたら、空いてるテーブルに折り畳み傘が広げて置かれてた。
電車やらカフェのそれは、だいぶ見慣れてきて、心を平静に保てるようになってきたんですが、
濡れた折り畳み傘のそれは、衝撃的過ぎて・・・。
「どういう事なの?」という不安感と、「どうにかしなきゃ」という焦燥感に駆られて、精神がぶっ壊れた。
(誰のものかも分からなかったので、何も言わずに勝手に閉じて床に置いた)

空いてる席を使う理由

電車やカフェの件に関しては、
 「隣に人が来ないように牽制してる」
という話はよく聞く。

別に人が来ないようにするのは勝手だしいいんだが、
一人の時の行動と、友人といる時の行動と、上司といる時の行動で、どのくらい違うのかが気になる。

環境に応じた言動の分別?

とはいえ、自然的環境・物理的環境・社会的環境に応じて言動を変化させるのは、動物的であり人間的であると思うし悪くないと思う。
しかしながら、それと倫理観はまた別物である。

「言動」は「倫理」の次に来る

行動・言動というのは、「ルール」「モラル」「マナー」が根底にあり、その次に来る。
ルールはモラルより厳格であり、モラルはマナーより厳格である。
そして、これらの次に「言動」が伴ってくる。
つまり、言動から逆引きすれば、その人がどういう倫理観をしてるのかが見えてくる。
(完全に可逆性があるとは言えないが、ある程度の推測までは到達できるという意味)


今回の傘の件で考えると、
まずはルール。会社として規定は設けられていない。そのためルールについては指摘できない。
次に、モラル。善とは言えない。悪とも言えないが、濡れた傘を机に置くという無神経さは悪と言える。
最後にマナー。完全に礼を欠いている。これ以上何も言うまでもない。

電車やカフェの件も同じで、
まずはルール。乗車ルールとして定められてはいない。そのためルールについては指摘できない。
次に、モラル。善とは言えない。悪とも言えないが、本来他の人が座れる席を自分本意に奪っているという権利剥奪という意味では悪と言える。
最後にマナー。各鉄道会社が啓発ポスターで呼びかけを行っている。これに反しているため礼を欠いていると言える。

このように、僕の不安感や焦燥感は、上記のような倫理観の欠如から来る。


しかしながら、自分も同じような事をしているのではないかという感情も湧いてくる。
身近で簡単な例だと、深夜の交差点。
場所にもよるが、深夜の交差点は車通りが少ないのに信号は可動している。
そのため、車が来ていないタイミングで信号無視をする事も稀にある。

まずはルール。赤信号で渡るのは道交法違反となる。
次に、モラル。善ではない、100%悪である。
最後にマナー。周りに人も車もいないので、礼を尽くす相手がいない。よって非常にグレーである。

言動と倫理は自己責任

「お前も人の事言えないじゃないか!」と言い始めたらキリがない上に、自分を棚に上げている。
「みんながやってるから自分もやっていい」という結論は、責任を公衆に転嫁している。

「自分がやりたいからやった」と素直に言うならそれで良い。
(もちろんそれが良いとは言い切れない)

最後に

他人の言動から気付きを得て、
自分の倫理観を一つずつ昇華していければ、
世界は平和になりますね。((雑な締め方

追記

改めて考えてたら、

  • ルール:社会に対して
  • モラル:自分に対して
  • マナー:他人に対して

って感じなのかなって思った。ただそれだけ。