「考えてから喋れ」ってマジ?
よく「考えてから喋れ」っての聞くけど、
考えてから喋ってたら、答えが出るまで10分はかかるくない?
ってか「考えてから喋れ」ってお前が思考を放棄してるだけだよね?押し付けがましいクソ野郎だね?
考えてから喋るとどうなるか
例えば「電車で席を譲るべきか」で考えてみる。
この言葉から考えられるのは、以下だ。
- 相手は妊婦か?怪我人か?ヘルプマークか?老人か?ただのキチガイか?
- 優先席なのか?普通席なのか?
- 普通席だとして、何で自分が譲る必要があるのか?優先席の人が譲るべきでは?
- 普通席だとして、優先席が全て優先されるべき人で埋まっているのか?
- 優先席だとして、優先されるべきなら分かるが、キチガイも相手にするのか?
- 席がどっちであれ、自分が優先されるべき人間の場合、何で譲らないといけないのか?それほど重大な事が起きてるのか?
- マタニティマークを付けてないけどお腹が出てるのは、妊婦か?デブか?
- 杖もつかず手押し車も押さずに歩いてる老人は元気では?
これ以外にもいくつか考えられると思うが、これら全てを考えた上で結論を出すことなど不可能に等しい。 もし結論を出すにしても、上記のようなありとあらゆるパターンから一つの最適解を出すまでに相当な時間と労力を要する。
考えて喋れない原因
ネットで原因を調べると、以下のように出てくる。
- 自分の考えや気持ちを言葉にしていない
- 相手に気を遣いすぎている
- 固定観念に縛られている
- 失敗経験によるプレッシャー
これら全て間違いである。
間違いというと語弊があるが、これだと「回答者に非がある」と言っているようなものだ。
実際には「質問者にも非はある」ため、そちらにもフォーカスする必要がある。
質問者の非:質問が抽象的過ぎる
先程例に挙げた「電車で席を譲るべきか」もそうだが、質問が抽象的過ぎる。 もっと条件付きで質問すべきである。
「優先席に座っている時、席を譲るべきか」
「杖もついてない、手押し車も押してない老人が来た時、席を譲るべきか」
「妊婦かデブか分からない人が乗ってきた時、席を譲るべきか」
このように具体的にするだけで質問者の意図も見え、考える労力も減り、答えを導きやすくなる。
質問者の非②:「考えてから」という間違い
例えば「電車で席を譲るべきか」という抽象的な質問に対し、「譲らなくていい」と抽象的に答えたとする。
質問者がほしい回答はこれなのだろうか? 回答者の意図は汲めているのだろうか? おそらくそのどちらも達成していない。
もし抽象的な質問を投げかけたいなら、「考えてから」ではなく「考えながら」が適切であると考える。
そうすると回答者も、以下のように思考まで一緒に回答できる。
「マタニティマーク付けてないと判断できないから、譲らなくていい。」
「自分の足で駅まで歩いて来れる老人は元気だから、譲らなくていい。」
抽象的な質問を例に取ったが、具体的な質問でも同じように言える。
何故なら、回答者の意図を汲むためだ。
回答者の「譲らなくていい」だけで判断するのは、質問者が浅はかさである証拠である。
回答者の解法:リカバリを大切に
回答者の解法としては、第一声は何も考えなくていい。 思ったことを口にすればいい。
大事なのはその次のリカバリである。 これは先程言った回答者の意図を伝えるために、考えながら話すと同様である。
第一声は「譲らなくていい。」
リカバリは「何故なら、マタニティマークを付けてないと判断できないし、自分の足だけで駅まで来れる老人は元気だし、普通席なら自分にも座る権利はあるから。ただし、マタニティマークを付けてたり、杖をついて歩いてたりなど、本当に必要な人に対しては譲るべきであるし、自分は譲る。」
結論から言いづらい場合は、「色々考えはあるかと思いますが」などと枕詞を入れれば話しやすくなるかと思う。
また、リカバリが長くなるのは仕方ないし気にしなくていい。 もし「話が長い」などと言われたら、話を聞いてくれない人・自分の意図を汲んでくれない人というレッテルを貼ってやればいい。 あなたの人生に支障をきたす人物なので、深入りする必要は全く無い。
まとめ
質問者と回答者、それぞれの意図をそれぞれが汲み取れるようになれば、認識齟齬は起きづらくなる。 意図を認識した上で、話が合わないのであれば、もうそれは仕方ないことである。 ただ、意図も伝わってないのに認識齟齬が起き、それで関係が途絶えてしまっては勿体無い。
「考えてから喋れ」ではなく「考えながら喋れ」
こうするだけで、関係性はもっと豊かになる。
そんな事より、
そんな事よりこのお花見て。
「ヒマワリ」が、ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーに咲いてたの。いっぱい咲いてて綺麗〜🙂
もう夏も終わってしまって、次はハロウィンだね〜〜。楽しみ〜〜〜。