頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「電車内でのイヤホン音漏れ」と「正義感」

通勤電車で、

電車乗ってて、他人のイヤホンから音漏れしてたら「五月蝿いなー」と思うんだけれども、
調べてたら、やっぱり不快に感じる人は多いみたい。
ただ、不快に感じない人が30~40%近く居るっていう事にもなるから驚き。

sirabee.com

もうちょっと調べてたら、そもそも気にならない人もいるみたい。
「電車の音の方が五月蝿い」とか「音楽流れてるだけなのに何がダメなの」とか。

何で五月蝿く感じるのか

あくまでも持論ですが、その場にあった音じゃないから五月蝿く感じるんだと思う。
電車に乗ってんだから、電車の音や小声の会話がするのは当たり前。
だけど、音漏れなんか考慮してない。
会社に居るんだから、キーボードの音や打ち合わせの声がするのは当たり前。
だけど、寝息とかいびきなんか考慮してない。
真夜中の騒音もそう。

その場にあった音じゃない=自分で考慮してない音
だから、不快だし五月蝿く感じる。

おそらく『正義』の話

自分の中にある「こうあるべきだ」という正義感の下で、意識が働いてる。
だから自分の正義に外れた人は、不快だし、ショッカーだから撃墜対象になる。ショッカー。
ただ、
正義感というのはあくまでも人それぞれ、個々人に存在するもの。
他人の正義に足を踏み入れてはいけない。
(もしその正義が法に触れるのであれば、勇気を持って足を踏み入れる必要がある)
(もしその正義が自分と同じであれば、手を組んでスーパー戦隊を結成する)
自分の正義を押し付けるのは良くないので、もし提示したいのであれば配慮は必要。

どちらに非があるのか分からくなる

こんな感じで考えていると、
 考慮できてない自分に非があるのか、そもそも諸悪の根元の他人に非があるのか
というのが、時々分からなくなる。

正直者がバカを見る。
ってやつですね。悲しい。

一応、対処法

「過去と他人は変えれないけど、未来と自分は変えられる」
って言葉があるかと思うんですが、まさにその通りで、他人に何言っても変わりません。
というか、前述しましたが、他人には他人の正義があるので、そこに足を踏み入れる事なんて恐れ多くてしません。

僕の場合、
電車の音漏れ:音漏れに合わせてリズムに乗ってます。これ結構楽しいからオススメ。
会社での寝息:耳栓してます。耳栓は優秀です。小さな音は大概シャットアウトできるし、話し声も篭って聞こえるので。

余談

会社で他人の寝息が気になったのでイヤホンして音楽聴いてたら、
査定の時に「音楽聴いてるので周りの印象が良くない」と言われました。
それ以来、耳栓にしてるんですが、
そもそもウチの会社はその辺自由なはずだし、注意される謂れはないはずなんだが...。
まあ、他人は変えられないので、自分で対処しました.....という余談。