頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「不倫」に対する「行為主義・行為者主義」

ゲス乙女ファンの友達がこんな事言ってた。

「同じ不倫なのに、
 川谷絵音の時は、本人を叩いて、文春を擁護。
 小室哲哉の時は、文春を叩いて、本人を擁護。
 何でなん。」(要約)

ゲス乙女のファンなので、こういうコメントが出てくるのは分かる。
僕は芸能人の不倫ニュースとか全く興味ない派なんですけど、、、。

正直、不倫くらい良くない?

語弊がないように言うと
「そういう仕事してるなら良くない?」

芸能、音楽、芸術、役者、アーティスト・・・。
自分の知らない汚い感性を具現化して、
音楽や絵画や演技で魅せてくれるのは、
表現者として尊敬できるところはある。

芸人が不倫して、不倫ネタで笑い取るならそれでいいし、
俳優が不倫して、演技に深みが出るならそれでいいし、
画家が不倫して、観る人を虜にする絵が描けるならそれでいいし。

ただ、サラリーマンとかOLは別

不倫してビジネス繋がるの?
金になるの?
誰か感動させられるの?

表現者であってもダメな時もある

自分の私利私欲のための不倫ですね。
これは良くないと思います。

「不倫をしたいからした。
 他の人を抱きたい(抱かれたい)だけだし、作品や表現に落とし込む気もない」

こんな事言ってたら、批判の的になるのは目に見えてますよね。
こんな事言ってる人見た事ないけど。

どう謝罪すべきか

これが難しいところで、というのも彼らには"ファン"と"視聴者"の二つがいるからね...

"ファン"に対しては真摯に謝罪すべきだとは思いますが、謝罪というのは罪を認めてるのと同じなので、作品や表現に活かしづらくなるかもしれないという懸念もあります。
かといって「この経験を作品や表現に落とし込んで、更なる成長をいたします」と言っても、ガチファンじゃないと賞賛してくれないでしょう。

一方、"視聴者"は当事者の背景やスタイルなんぞ知ったこっちゃありません。
行為そのもの、記者会見での発言、そして当事者に対する好き嫌い。
これでしか判断しないです。
そして何より、一番最後の「当事者に対する好き嫌い」が一番デカイ。

"ファン"と"視聴者"、双方に向けた謝罪会見というのはなかなか難しいものです...
(個人的には謝罪会見なんか開かなくていいし、ファンに対して謝罪すればいいと思ってるんで、謝罪巡業全国ツアーでもすればいいんじゃないかと思ってる)

我々ファンや視聴者は

"行為主義"か"行為者主義"かみたいな話でさ。
「あの人だからダメ」「この人だから良い」みたいなのやめません??

不倫という行為そのものを批判したいなら、誰彼構わずひっきりなしに批判すべきであって、行為者によって対応変えるのは間違ってる。
渡辺謙は世界的俳優だからOK」「小室哲哉は介護してたからOK」「川谷絵音はよく知らんし顔うざいからNG」みたいな。
「○○さんは仕方ないよねー」とか一番分からん。仕方ないとかねえから。

行為者を批判したいなら、それはそれで徹底的にやればいいと思う。
不倫しても不貞だと叩き、ボランティアや寄付をしても偽善と叩き、
まあそんな事しても誰も幸せにはならないけど。

不貞行為は良くないんでやめましょう

あーだこーだ言ったけど、不貞行為はよくないですよ。
日本でも昔は重罪だったし、海外だと今でも重罪のところもあるし、それだけ道徳に反してるって事なので。
道を外れたら輪廻転生する時に畜生とか餓鬼とか地獄に行きますよ。怖い怖い。(適当)

芸能関係者もさ、不倫を包み隠さずに、
 「こういう理由で不倫したいと思ってます。不倫をする事で表現に磨きがかかり皆さんを幸せにできます。」
みたいに、前もって宣言してくれたら気持ちいいし面白いのに。