頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

自分と他人の、正常と異常

飲み会は楽しい?楽しくない?

こんな記事を見つけた。

diamond.jp

気になった箇所をいくつか抜粋。

「尊敬している人や、話を聞きたいなと思っている人がいる飲み会なら、誰だって行きたいと思うでしょう。」

「最近はネットメディアも発達していますよね。テレビもそうですが、飲み会の他にもいろいろと面白いことがいっぱいあるじゃないですか。SNSやニュースサイトを見るのも楽しいですし、NetflixやHulu、AbemaTVのような動画コンテンツも充実しています。 こうした、たくさんある選択肢のひとつに、飲み会があるというのが私たちの世代の認識だと思いますね。」

「選択肢が増えて相対化できるようになったのは、昔と今とで違うのかな、と思います。」

「世の上司の皆さんは問いかけないといけませんね。果たして自分が部下を誘って開く飲み会は、Netflixよりも面白いのだろうか、と。」

めちゃめちゃ分かる。

飲み会が楽しいかどうかの基準は人それぞれ違うと思う。

  • 酒が飲める
  • 上司に奢ってもらえてタダ飯が食える
  • 良い話が聞ける
  • 仕事に繋がる

逆に、飲み会に行きたくない理由としてはこんなのが挙げられる。

  • 酒が飲みたくない(そもそもアルコール好きじゃない)
  • 空気感が嫌(五月蝿い、タバコ臭いetc.)
  • 話がつまらない(中身のある話がない)
  • 金の無駄(誘ってきたくせに奢ってもらえない)

共通してるのは、『自分にとって有益かどうか』って事ですかね。

自分にとって有益かどうか

「自分のことは自分にしか分からない」という言葉がありますが、
僕は「自分のことすら自分でも分からない」という事もあると思う。

例えば、テレビ番組。

テレビ欄を見て、BSやCSも含めると数十もあるチャンネルから、自分が好きな番組を選択する。
更に録画機能も含めると、1日で24倍、1週間で168倍の番組をチェックしないといけない。
(20chあるとすると、その数なんと3360番組!!!)

そもそも自分が好きな番組ってなんなんでしょう。
タレント?ジャンル?テレビ局?情報量?

僕の場合は、適当にチャンネル回して、無気力で眺めつつ、「いいな」と思ったら毎週見るようにしてる。
その毎週見てる番組の系統や特徴から、見てもいない他の番組を録画したりする。
(ちなみに僕の場合はトーク、お笑い、調査検証、海外ドラマ、海外映画が多い感じ。タレントはまばら。)

見てもないのに、好きだの嫌いだの有益だの無益だの言うのは、違う。
(今回の記事とは関係ないけど、他人の嗜好に口出したらあかん。)

例えば、趣味。

数多の趣味から、何であなたはその趣味を選んだんですか?
実際に見て・触れて・体験して・「いいな」と思って、継続してるはず。
誰かに強いられて嫌々やってるものを趣味とは呼びませんしね。

ただ、その趣味に行き着くまでに、いくつの趣味を捨ててきました?

例えばゲームが趣味だとしましょう。
本を読んでも続かず、野球をしても続かず、水泳をしても続かず、ゲームをしたら続いた。
この時点で3つを捨てて1つを選んでる。
ゲームが「いいな」と思ったから選択して続けてるわけですよね。

やってもないのに、好きだの嫌いだの有益だの無益だの言うのは、違う。
(今回の記事とは関係ないけど、他人の趣味に口出したらあかん。)

そして、飲み会。

飲み会も同じ。

楽しいか楽しくないか、有益か無益かなんて、行ってみないと分からない。

ただし、ここで重要な単語として「確証バイアス」がある。

確証バイアス

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。
確証バイアス - Wikipedia]

自分が好きなモノや信じてるモノなど、固定観念を持ち、その固定観念に賛同する情報ばかり集め、賛同しない情報は無視するような考え事。

「飲み会なんてどうせ楽しくないでしょ」と言ってる人が、楽しくないと言ってる人の声ばかり集め、「みんなも楽しくないって言ってる」と言ったり。
「ゲームなんて無意味無価値で餓鬼の遊び」と言ってる人が、無意味無価値と言ってる声ばかり集め、「みんなも無意味無価値と言ってる」と言ったり。
「お笑いなんて下衆の集まり」と言ってる人が、お笑いの悪い部分の情報ばかり集め、「やっぱりお笑いはクソだ」と言ったり。

飲み会は楽しいという声は消され、
ゲームに価値があるという声も消され、
お笑いが心を豊かにするという声も消され。。。

もちろん、逆も然り。

「飲み会は楽しい」と言ってる人が、楽しいと言ってる人の声ばかり集め、「みんなも楽しいって言ってる」と言ったり。
「ゲームは脳の衰えを抑止する」と言ってる人が、ゲームが脳に与える好影響の情報ばかり集め、「やっぱりゲームは最高」と言ったり。
「お笑いなんは心を豊かにする」と言ってる人が、お笑いの有益の情報ばかり集め、「笑うと心が洗われる」と言ったり。

飲み会は楽しくないという声は消され、
ゲームを嫌悪する声も消され、
お笑いで不快になる人の声も消され。。。

それが確証バイアス。

押し付けはよくないし、固定観念もよくない

確証バイアスの例示を見て分かる通り、一つの事柄に対しても数多の考えが生じる。
良いと思う人もいれば悪いと思う人もいて、愉快になる人もいれば不快になる人もいる。

自分が正常だと思ってる事も、他人は異常と思ってるかもしれないし、
自分が異常だと思ってる事も、他人は正常と思ってるかもしれない。

自分と他人の、正常と異常

自分と他人の正常と異常が重なるのは、「法律」「ルール」「マナー」くらいじゃないですかね。

法律守ってれば正常だし、法律違反すれば異常。これは誰もが分かる。

街中には数多のルールやマナーがある。
電車に乗ると、鉄道会社が「通話はNG」って書いてるので、通話してたら異常。
エスカレーターは「片側をあけて乗ることのできないお客さまにとって危険な事故につながる場合もあります」とJR西日本が言ってるので、片側だけ空けて乗ってるのは異常。(なので東京と大阪は異常)

それ以外は重なり合わないものだと思っておかないと精神が持たない。
自分の正常は他人の異常、自分の異常は他人の正常。

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