頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「やってあげる」が「やりたいんでしょ?」に変わる瞬間

お人好しあるある?

これは「お人好しあるある」とは思うのだが、

「やってあげるよ」が、
「やってほしい」に変わり、
最終的に「やりたいんでしょ?」になる事が多々ある。


最初は、自分の好きな事だったり、キャパシティ内の事だから、何ら苦ではない。
むしろ自分から買って出てるわけだから、楽しいし自己効力感も生まれる。

その後、楽しんでやっていると、信頼されるようになり、依頼を受けるようになる。
キャパシティ内の事を言われる事が多いから、大抵引き受ける。
楽しい楽しくないはさて置き、依頼を受けて出来るので、自己肯定感も生まれてくる。

最終的には、キャパシティ外の依頼や、全く楽しくない受ける事も出てくる。
その時だ。
「やりたくないです」と言うと、
「え、やりたいんじゃないの?」「好きでやってるんでしょ?」と言われる。


正直、最後まで来ると相手にも申し訳ない。
頼ってくれてるのに無下にする事になるし、断る事で新しい人を探さないといけないし。
(そもそも「やってほしい」の段階の表情で察してくれてればいいのだが、それは相手に委ねる事になるので大きな声では言わない)

引き際がどこなのか

正直今でも分かってない。

ただ、この記事を書きながら思ったのは、「楽しくない事はやらない」という事。
段階でいうと「やってほしい」の時。

依頼を受けながら、出来るかな出来ないかな、楽しいかな楽しくないかな、と模索してる時。
直感的でいいから「楽しくない」と思ったら、この時点で断るべきである。

なあなあで「何でもやりますよ!」とか言ってたら、僕みたいになるから注意。

少し昔話:大失敗


これ系の話はいくつかあるが、一番インパクトがデカかったのが社会人1年目
なので、現職ではなく、前職での話。

前職の会社は、受託開発がメインながら、自社サービス開発もしている中小企業であった。
僕は「自社サービス開発がしたい」という意思で就活をしていて、前職の会社に内定をいただき、入社した。
そして、新入社員研修後に同期が集められ「どの部署に行きたい?」という質問を受けた。
そして答えた。


「何でもやりますよ!」


これが最大の失敗である。
結局、受託開発の部署に配属になった。
その後自社サービス部門への異動も聞いてはみたが、タイミングが合わず、、、

他にも小さい事なら、
学生時代の委員決めとか班長決めとか、誰も手挙げなくて話が進まないから、手挙げて進めたり、
元々A委員希望で名前上がってたのに、B委員に立候補者がいなくて進まないからそっちに移ったり(空いたA委員はすぐ埋まった)、
前にも話した通り(ref)、先頭に立って目立ちたいタイプじゃないのに、「前出るの好きでしょ?」とか言われて、人前で喋らされたり。

せめて先生くらいは分かってほしかった、この気持ち。

たのちくない

こう考えて思い返してみると、マジで楽しくなかった。
いや、楽しくなかったけど、楽しく振る舞って、最終的には楽しかったというのが正しいか。
まあ、最初は楽しくなかった。
だから、あまり記憶にも定着してない。

(ちなみに、楽しくなくても、楽しさを見出して、無理矢理にでも振る舞うのは大切だと思ってる。
 ただ、それを他人に強いてはいけない。あくまでも自分の中で昇華すべきポイント。
 (他人に「楽しいよ!」って強いても、他人自身がそう思わないと意味がない。頑張れ他人。))

メリットもある

とはいえメリットもある。
「経験が増える」「人脈が増える」


「経験」については言わずもがな。
嫌でも引き受けたらやらなきゃいけないし、やってたらやり方を覚えてくるし、やり方を覚えたら次にも活かせる。
それは引き受けなかった人には出来なかった経験で、その人の世界線にはない選択肢が増えるわけだから、
より柔軟に、より多角的に、より多面的に、物事を考える事が出来るようになる。

そして、経験を積んでると「人脈」が出来てくる。
同じ経験をしてる人、同じ失敗をしてる人、これから経験する人、その道の知識を持ってる人、、、
これについても、引き受けなかった人の世界線には存在しないので、より多くの助言や思考をもらう事が出来る。


これらは金に変えられないモノとして非常に大きな価値がある。
(と、自分に言い聞かせて結ぶ。)

まとめ

楽しい事をしよう。