頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「人生は一度きり」がよく分からない

「人生は一度きりなんだから!」

よく聞く言葉である。


確かにそうなんだけど、「だから何なんだろう」と思う。


僕の場合は「前世は頑張って生きたんだろうなー」「来世も頑張ってくれよー」と思いながら現世を生きてるので、人生に対する執着心が特別あるわけではない。

仏教らしいといえば仏教らしい思想ではある。 別に仏教徒でも何でもないのだけれども。


もちろん、人生が楽しくあるべきというのには大賛成だし、僕自身もそうであるように努めてはいる。 (実際そこまで深い話ではない事は分かってる。)

「人生は一度きり」はどういう意味?

言葉の意味を探ると色々と考えられるが、いくつか見ていく。 (実際そこまで深い話ではない事は分かってる。)

魂が一回きりという意味?

これは「魂=命」と考えられる。 命が絶えれば魂も絶える。

一方で「生まれ変わったら何になりたい?」という話題もよく耳にする。 魂が絶えれば記憶も共に絶えるはずであるが、記憶が残っている前提で話が進んでいく。 そうすると、魂が絶えたと同時に記憶が貯蔵庫に格納され、新たな魂に記憶を薄っすらと書き込んだ状態で下界に降りてくる。

そこには神の存在がちらついてくる。

人間道に来れるのは一度しかないという意味?

「人間道」が出てくるという事は「六道輪廻」、つまり仏教的な考えであると考えられる。

しかし、六道輪廻をぐるぐる回る中で、人間道に来れるのは一回と決まってるわけではない。

キリスト教のように、死後は無意識の世界に行き、復活するまで戻ってこれないという意味?

これについては、「復活するのであれば"一度きり"ではないのではないか?」という疑念を抱かざるを得ない。

また、復活しても"一度きり"とカウントするのであれば、それは永遠であるし、永遠であるなら「一度きりなんだから」と刹那に対して頑張る必要はないのではないかとも思う。

余談:YOLO

英語に「YOLO」というスラング用語がある。
「You Only Live Once」の略で、「人生は一度きり」という意味。

仏教だの武士道だの無宗教だの入り混じった日本だけでなく、キリスト教だの多文化社会だの自由主義だの入り混じったアメリカでも同じような考えがあるのだから、「人生は一度きり」というのは、人間に根付いた普遍的な思考なのかもしれない。 (実際そこまで深い話ではない事は分かってる。)

まとめ

僕は無宗教だが、考え方的には仏教に近しいものがあると思っている。

先程も述べたように、前世が頑張ってくれたおかげで現世があるし、来世も頑張ってほしいから現世を生きてる。

正直、出来る事なら最後にしたい。
再び人間道に戻ってくるなんて考えたくないし、そんな負債を来世に残したくないので、六道から外れて成仏したい。

そういった意味で「六道から外れるラストチャンス!YOLO!」と言ってるなら、それは共感に値する。

余談:あじさいちゃん・・・。

関係ないけど、いつも見てたあじさいちゃんが切られてた、、、哀しきかな、、、。

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そういえば、枯れかけのあじさいが切られてる様子はよく見かける。
あれは何故なんだろう。
腐敗を広げないため?単なる見栄え?

と思って調べてみたら、ちゃんとした理由があった。

sodatekata.net

  • 来年も花を咲かせるために、あじさいは8月以降に「花芽」をつける
  • 枯れた後も「綺麗だから」と残したままにして、花芽がついた後に切ってしまうと、来年は花が咲かない
  • だから、枯れた後の姿も綺麗であっても、花芽がつく前に切ってあげる

との事。

なので、全然哀しい事ではなかった。
むしろ来年に向けてメンテナンスしてもらえてる可愛い子!
来年もよろしく!