頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

イライラする事にイライラしないように、思考を中和する

マリー・アントワネット「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」

世界的に有名なセリフかと思います。
(Wikipedia見たら、実際はマリー・アントワネットの台詞じゃないらしいですが、ここでは触れない。)


現代でも同じような事がありますね。

貧困層に対して「それなら勉強すればいいじゃない」とか、
会社に不満がある人に「それなら起業すればいいじゃない」とか、
少し前だと、厚生労働省が「低所得者は食事を見直して」って言ったりとか。(記事)


これらの言葉は大概、
言ってる側は、何も考えずに言っていて、
言われる側は、ナイフでグサッとされたように刺さる。

非常に残忍である。

理解や同情のもう一言


僕からすると、誰が何をどう思おうが知ったこっちゃないし、
その人個人の思想だから否定もしないんだけども、
言ってる側に対して、もう一声ほしいな、って思う。


「何か事情があるんだろうな」


みたいな。

「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない。
 けど、パンもお菓子も食べれない事情があるんだろうな。

「貧困生活送りたくなかったら、勉強すればいいじゃない。
 けど、勉強に時間を割けられないくらいの事情があるんだろうな。

「会社に不満があるなら、起業すればいいじゃない。
 けど、起業できない・したくない事情があるんだろうな。


ようは、押し付けがましい言葉を、理解や同情の言葉で、中和するイメージ。

誰だって悩んでる

誰だって何かしら抱えて悩んで考えて生きてる。
「Aが出来ないならBをすればいいじゃない」なんてのは、
本人はとうの昔に考えていて、実践して、それでもダメだから今がある事の方が多い。
それを考えずに心無い発言をしてしまうのは、いささか問題がある。

理解や同情の必要はない

そこに対して、実際に理解や同情する必要もないのだけれども、
理解や同情を示す、その姿勢を見せるだけで、相手の心が救われる事も数多くある。
(必要がないというのは語弊があるが、実際問題として理解や同情など出来ないので、出来ない事はやらず、別の策を考えようね、という意味)

人間らしい発言は悪くない

しかしながら、思った事を発言してしまうのは仕方ない。
頭の中でこねくり回して、喉元ですり潰して、口から綺麗な言葉を吐くより、
よっぽど人間的な発言だし、悪い事ではないと思う。

人間らしくあるために中和する

だからこそ、口から出る発言の酸性が強過ぎる場合は、出来るだけ早く塩基性で中和する。
間が空き過ぎると、腐敗が進み、取り返しがつかなくなる。(逆も然り)
なので、ある程度のスピードも大切。

ここで重要なのは、脳は主語を理解できないという事。
人間の脳というのは、利口だけど馬鹿で、
他人に対する発言でも、自分に対しての発言と理解してしまう、訳の分からない構造をしてるらしい。
だからこそ、酸性の強過ぎる発言ばかりで脳を溶かす前に、出来るだけ早く塩基性で中和してやる。


それが相手のためにもなるし、自分のためにもなる。


例えば、電車に乗ってて、子供が泣いてて、親があやしてるとする。
「さっさと泣き止ませろよ」と思うのは、誰だって思うから仕方ない。
ただ、その後すぐに「ちゃんとあやしてるし待ってみよう」「子供だし泣くの仕方ないよね」と思考を切り替える。
そうすると、自分の中のイライラも抑えられて、相手に対するイライラも抑えられる。

何だってそう。
交差点で信号無視してる歩行者。
いつもヤンヤン言ってる上司。
衣類の汚れ。
誰に伝えるでもなく適当に淡々とブログを書いてる人間(自分の事)

他人に対するイライラは、自分に対するイライラ

他人に対するイライラは、同時に自分に対するイライラでもある。
他人に対するイライラは、自分じゃどうにも出来ないから完全無視して、
自分に対するイライラにイライラするのなんて、時間も労力も無駄過ぎる。
そんな事に時間を割くくらいなら、さっさと切り替えて酒でも飲んでる方がよっぽど有意義。

最後に

僕は元々短気で、というか今でも短気だけど、
他人にはもちろんイライラするし、イライラする事にもイライラするから、
イライラしないようにイライラに足を突っ込んでいくスタイルを取るようにしたけど、
他の人ってどうやってんだろう。