何でそんな簡単に「人」を嫌いになれるの?🤔
本当にその人が嫌いなの?
その人のどういう部分が嫌いなの?
物事の本質的な部分も踏まえた上で嫌いなの?
📺ひるキュンに出演したホリケン
https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20161817084/news.nifty.com
田中みな実を逆さに抱き上げてホウキにしたり、
アンミカを逆さに吊り上げたり、
ダンボールを放り投げたり。
✂️この件で問題視すべきは「番組サイド」
「何を持っているかではなく、持っているものをどう扱うか」
この言葉はよく聞くだろう。
番組編成を考えるのは、番組サイド。
どういう客層にどういう情報を届けるのか考えるのも、番組サイド。
そのために誰をキャスティングするのか考えるのも、番組サイド。
ホリケンの番組を選ばず傍若無人に振る舞う芸風は、視聴者である我々でも分かる事であるため、テレビ業界人であれば分かるはずだ。
気が使える芸人を起用するなり、傍若無人な振る舞いは慎むように入念な打合せをするなり、番組サイドでコントロール可能なはず。
それなのに何故、昼の情報番組にホリケンを起用し、傍若無人な振る舞いを許したのか。
絶対に違う事は分かっているが、ホリケンを干すための陰謀論とさえ思えてくる。
😕他の番組ではどうか?
では、ホリケンが出演している他の番組ではどうか。
ぱっと思い浮かんだ「さんまのお笑い向上委員会」「アメトーーク」で考えてみる。
「さんまのお笑い向上委員会」では、さんまさんを含め、他の芸人もホリケンの扱いを熟知している。
番組内で傍若無人な振る舞いをする事もあるが、批判の声は上がっていない。
「アメトーーク」では、街ブラロケをしており、一般人に対しても同じように振る舞う。 しかしながら、これも批判の声は上がっていない。
ここで分かるのは、同じ振る舞いなのに、他の番組だと批判されないという事だ。
📚心理学でいう「原因帰属」「共変原理」
以前のエントリーでも書いたが、「ケリーの共変原理」というものがある。
これは、行為者の反応が内的帰属しているか外的帰属しているか、以下の3つの視点により見る原理である。
- 一貫性:ある対象に対する反応は、他の状況でも変わらないか
- 一致性:ある対象に対する反応は、他の人々と一致しているか
- 弁別性:ある対象に対する反応は、その対象に限られているか
「行為者」は視聴者、「ある対象」はホリケンとなる。
「一貫性」で見ると、ホリケンの振る舞いは番組により左右しない。(=一貫性はある)
「一致性」で見ると、批判の声もあるが、そうでない声もある。(=一致性はない)
「弁別性」で見ると、ホリケンでなくても叩かれるであろう。(=弁別性はない)
一貫性のみ高く、一致性と弁別性が低い場合は「内的帰属」となる。
つまり、外的であるホリケンに帰属しておらず、内的である行為者自身の性格に帰属しているという事だ。
🙁「行為主義・行為者主義」の問題
以前のエントリーにも書いた内容。
人を叩くんじゃなくて、行為を叩かないと。
行為を叩くなら、行為者全員叩かないと。
「ホリケンだから嫌い」とか許されないよ。
🙂まとめ
みんなすぐに「人」を嫌いになり過ぎ。
嫌いになるなら「行為」から。
「行為の積み重ね」で「人」を嫌いになる事はもちろんあるけど、「一つの行為」だけで「人」を嫌いにならないように。
🤔そんな事より
お花綺麗に撮れたから見て〜〜
フォーカスずらしたの〜〜〜〜