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努力と怠惰の狭間

ロザン菅が物語調で日本史を教えてくれる「京大芸人式日本史」をまとめた。【前編:~江戸時代】

一昔前に本屋に行って、「ロザン宇治原じゃなくて相方の菅が書籍出してるやん、買ってみよ」と思って買った本。

www.gentosha.co.jp

前回の「犯罪心理学」も同じだけど、勉強系の書籍はちゃんとメモしながら読むけどその結果をどこにも出してないので、今回はこれをまとめていく。(一部独自に調べて記載した箇所もある)


関係ないけど、菅さんの笑顔がとても好きです。

 

😶前置き

本書は物語調で進んでいくため冒頭から読んだ方がもちろん面白いが、本エントリーは勉強内容をまとめてるだけなので、順番などは無視する。

あと、まとめてたら長くなったので、前編・後編で分けた。

  • 前編:縄文時代~江戸時代
  • 後編:明治時代~昭和時代

 

🤔結論:土地は誰のもの?

日本史を学ぶ上で注目すべきポイントは「土地は誰のものなのか?」という事。

縄文時代古墳時代は個人のものであったが、奈良時代以降は朝廷のものとなっていき、天下統一により幕府が管理するようになり、開国をきっかけに外国を視野に入れる必要がでてきた事が分かる。

時代 説明
縄文時代 みんなで仲良く狩猟。
弥生時代 耕すのが上手くて偉い人が国を作る。
古墳時代 古墳の大きさで権力を表す。
奈良時代 中大兄皇子中臣鎌足による「大化の改新」による公地公民で天皇のものに。(納税が面倒な農民は働かなくなったので「墾田永年私財法」を設け、ちゃんとやれば土地を個人に返す)
平安時代 耕せば自分のものになるがルールがなかったので、貴族に土地を渡して守ってもらってた。土地持ちの貴族同士での争いが起きたため用心棒(武士)を雇う。用心棒の二強である源氏と平氏で争い、源氏勝利。
鎌倉時代 戦えば土地がもらえる「御恩」と「奉公」。武士出身の初心者に政治を任せていたが元寇で破綻。
室町時代 鎌倉時代と同じく「御恩」と「奉公」。南北朝時代には、当時の朝廷は2つあったが足利義満南北朝を統一。戦国時代には、各地の守護の力が強くなり土地の取り合い。
安土桃山時代 天下統一。全ての土地を幕府で管理。
江戸時代 安土桃山時代と同じく幕府で管理。「禁中並公家諸法度」により幕府が朝廷も管理。鎖国してたが黒船が来て幕府がビビり大政奉還により朝廷へ。
明治時代 黒船来航により「日本の土地を誰が支配するか?」から「外国から守るにはどうしたらいいか?」になる。外国遠征組の意見もあり「外国文化取り込んでいこうぜ」という話だったが、「朝鮮開国させようぜ、日本の領地広げようぜ」となってしまう。日清戦争日露戦争が勃発。
大正時代 韓国も朝鮮も独立。第一次世界対戦をきっかけに「戦争のルール決めようね」となる。
昭和時代 日本が満州に攻めいるも、中国・イギリス・アメリカに叩かれ、原爆落とされて終戦

 

📅それぞれの時代

前項でざっくりと紹介したので、本項はもう少し掻い摘んで説明する。

縄文時代

「竪穴式住居」に居住。
磨製石器」で狩猟。

Q.「何で土器に縄で模様つけたの?」
A.「自分のものを分かりやすくするため」

弥生時代

「高床式倉庫」で穀物などを貯蔵。
「環濠集落」で生活。有名なのは登呂遺跡と吉野ヶ里遺跡

Q.「貧富の差はあったの?」
A.「稲作が始まったが、下手なやつは下手だし、上手いやつは上手い。それだけ。」

Q.「240年頃、卑弥呼さんはどこで何してたの?」
A.「近畿か北九州だが定かではないが、邪馬台国と呼ばれる日本国内の一つの国(貧富差はあるが複数の集落)を治めていた。魏が隣国(呉/蜀/高句麗)と仲が悪かったから仲良くしてあげてた(=魏志倭人伝)」

古墳時代

これまでの時代では集団墓地だったが、一個人のお偉いさん(大王)だけが入る墓地(古墳)が作られた。

Q.「古墳にあるハニワって何?」
A.「本当はお偉いさんと一緒に生き埋めにされる予定だったけど、さすがにそれはダメだろって事で、ハニワを一緒に入れるに。」

飛鳥時代

「冠位十二階」で地位を人目で分かるように。 実力社会になったのはこの頃から。(馬小屋育ちの聖徳太子が摂政に)

Q.「なぜ隋の煬帝に手紙を?」
A.「隋は自分が中心で他が下だと思ってるから、『これからは対等に外交しような』って意味を込めて。」

Q.「隋からお叱り文を受け取ったはずでは?」
A.「妹子がワザと無くした」

奈良時代

645年、聖徳太子が死んでから調子に乗ってた蘇我一族。 その一族をぶっ潰したのが、中大兄皇子中臣鎌足。 この二人により大化の改新が行われる。

Q.「中大兄皇子は何を?」
A.「蘇我入鹿の家を放火」

Q.「中臣鎌足は何を?」
A.「蘇我蝦夷(入鹿の父)の家を放火」

Q.「他には?」
A.「公地公民:土地は我々が管理する。そして貸出す。(班田収授法)
  税:租=作った米の3%。庸=建設の手伝い。調=郷土品の献上。
  国郡里制:各地を治めやすいように。国治や郡治に従うように」


708年、和銅開珎」が誕生。

Q.「初の貨幣なの?」
A.「1998年まではそう信じられてたけど、実際はもっと前に持統天皇が<富本銭>を作ってた。」

Q.「何で穴空いてるの?」
A.「持ち運びやすくするため」

平城京

710年、なんと素敵な平城京

Q.「平城京のモデルって何?」
A.「唐の都である長安

Q.「古事記って誰が書いたの?」
A.「稗田阿礼という、一度聞いた事は忘れない天才。」

Q.「日本書紀って誰が書いたの?」
A.「天武天皇の息子である舎人親王

Q.「東大寺って何で建てたの?」
A.「国の元気がないときに聖武天皇が神頼み的に作らせてた。国分寺国分尼寺も。」

Q.「『墾田永年私財法』って何?」
A.「当時は人口増加してたけど農地は増えてなかったから、農民は『はよ耕せや』と言われてて疲弊してた。で、政府が『ちゃんと耕したら土地ごとあげる』と言ってきた。それが墾田永年私財法。」

Q.「そうなると『結局土地って誰のものなの?』ってならない?」
A.「それは次の時代……」

平安京

794年、鳴くようぐいす平安京桓武天皇平安京を作った。

Q.「てんさいって何?」
A.「比叡山に、延暦寺を建て、天台宗を開いた、最澄。」

Q.「しんくうって何?」
A.「高野山に、金剛峯寺を建て、真言宗を開いた、空海空海は字が綺麗で有名。"弘法も筆の誤り"の語源。」


桓武天皇は、「健児」により農民の徴兵制を廃止して、貴族内でどうにかしようとした。 勘解由使を各地方に送り、変な事してないか警察的な役割をさせてた。 蝦夷討伐として東北への攻めこみも行った。

菅原道真は、「遣唐使を廃止」。 中国の文化が入らなくなり、ひらがなや寝殿造といった国風文化が広がった。 (今となっては学問の神様と言われてるが、実権を握ってた藤原一族によく思われず左遷されてた。)

藤原一族は、「摂関政治」で有名で、一番権力を握ってたのが藤原道長。 農民は節税で土地の寄進をしたりしてたが、腕力で土地をブン取ろうとする輩がいたため、用心棒=武士により防いでいた。

平将門は、そんな武士の中でも力をつけており、「俺が国を治める」と反乱を起こした。 同時期に藤原純友も反乱を起こし、合わせて承平・天慶の乱と呼ばれる。 反乱軍は負けるが、力を示すには十分だった。

源氏と平氏は、当時力をつけてた武士軍。 摂政政治中の藤原一族も保元の乱でぶっ壊れ、後白河天皇軍が勝利。 勝利側についてた平清盛源頼朝平治の乱を起こし、平清盛が勝利。 平清盛が武士として初めて太政大臣(総理大臣)になるも、のちに平氏源頼朝に滅ぼされる。

鎌倉幕府

1185年、国ごとに守護・地頭を設置した。
1192年、源頼朝征夷大将軍に任命。

Q.「一番偉いのは?」
A.「征夷大将軍源頼朝。」

Q.「次は?」
A.「執権。北条泰時。」

Q.「仕えるのは?」
A.「御家人=武士。守護は国ごとの武士の責任者。地頭は荘園ごとの責任者。」

Q.「封建制度は?」
A.「御恩と奉公の精神。ちなみに"一生懸命"の語源。」

Q.「何で頼朝は、弟・義経が嫌いなの?」
A.「一人だけ勝手にいろんな地位もらってて腹立つ」


のちに、モンゴル兵が攻め込んでくる元寇が起こる。 結果的には勝利するが、鎌倉幕府のずさんな政治が浮き彫りに。

室町幕府

後醍醐天皇は、鎌倉幕府のずさんな政治を見て「経験ある俺が政治した方が確実」と言いはじめる。 後醍醐天皇は武士が嫌いだったため武士にとっては辛い制度も出てきた。

足利尊氏は、「武士に辛い制度は嫌だし、いっちょやったるわ」と反乱起こす。 (後醍醐天皇を追いやり、良い暮らしをしてなかった光明天皇を味方につけて、60年かけて幕府を開く。)

足利義満は、三代将軍になり、南北朝を統一。ちなみにこの人が金閣寺を建てた。 一休さんにあれこれ言ってたのも義満だが、一休は切れ者というわけでもなく、大人に取り入るのが上手くて分からん事は聞いてたらしい。

戦国時代(まだ室町)

義満の死後、幕府の力が弱くなり、守護の力が強くなった。

足利義政は、第八代であり、自分に子供ができなかったので弟に政権を渡そうと持ちかける→その後子供ができる→後継ぎを決めきれない優柔不断な義政は「自分らで決めて」と放り出す→後継ぎ争いにより応仁の乱が発生。

そんなしょうもない幕府を見て、
農民は「鍬持ったら俺らも強いのでは?」となり一揆が増え、
守護は「今なら幕府倒せるのでは?」となり戦国大名が誕生した。


織田信長は、今川義元を破り、足利義昭を15代将軍にし、天下統一前に明智光秀に燃やされた。
豊臣秀吉は、明智光秀を破り、太閤検地や刀狩を実施。
徳川家康は、秀吉の死後、西軍の石田三成と対立し、関ヶ原の戦いにより勝利し、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた。


また、この時代は海外からの渡航も多く南蛮貿易があった。 ポルトガルから種子島に鉄砲が伝来。 スペインからザビエルが来てキリスト教が伝来。 (ちなみに日本は貿易に弱くてめちゃめちゃ舐められてた)

✔江戸時代

士農工商により、身分がはっきり分かれるようになった(身分を簡単に変えてしまうと税が回収できず幕府が成り立たなくなるため)。 ただし、武士も自費で参勤交代していたため、徳川家に信用される「親藩」や「譜代」は近くに置かれ、信用されてない「外様」は遠くに住まわされた。

禁中並公家諸法度により、幕府が朝廷に対して決まり事を作り、朝廷と対等に立った。

「禁教令」により、キリスト教を禁止した(幕府が一番でないと困るため)。 天草四郎が筆頭で、キリスト教徒を引き連れて島原の乱を起こした。 これにより更に厳しく取り締まるようになり、スペインとポルトガルとの外交を禁止し、イギリスと中国のみ貿易するようにした(=鎖国

文治政治により、儒教の思想に基づいた政治が行われるようになった(元々は武力により厳しく取り締まってた)。 この政治は5~7代まで続いた。

江戸の三大改革

8代将軍・吉宗の時には、幕府は貧乏になってた。 この貧乏を打破するために、様々な改革が執り行われた。

享保の改革により、「定免法」での米価の安定を実施。 しかし、豊作時は余って武士の給料が下がり、凶作時は農民が一揆を起こした。

田沼意次により、享保の改革での波及で再び財政難に陥った幕府を、「株仲間」の奨励策により、農業依存の幕府経済を改める。 しかし、幕府に上納金を納める事で商業の「独占権」が得られたため、賄賂が横行する。

寛政の改革により、田沼時代での波及で物価高騰=貨幣価値下落に陥った幕府を、質素倹約な政治とした。 商業のために出稼ぎにくる農民達を「旧里帰農令」により帰らせたりなど、商業に厳しい政治となった。 しかし、田沼時代に健全化した財政が再び悪化に転じた。

天保の改革により、賄賂の横行を「株仲間解散令」により征伐。 しかし、それ以外については寛政の改革の倹約政治に似ており、財政は悪化して失敗に終わった。

幕末

幕末のポイントは鎖国を続けるか、開国するか」


ロシア・イギリス・アメリカ「通商しようや」
幕府「嫌だ(異国船打払令。漂流者を助けてくれたのに砲撃したりしてた)」

イギリス・清「アヘン戦争しようや」
幕府「イギリスの方が小さいのに勝ったらしい。怖い。(イギリス船に物資を提供)」

ペリー「開国してや」
幕府「黒船だ。黒いし、デカいし、怖い。(アメリカ船に物資を提供)」

幕府「朝廷さん、藩さん、どうしたらいいかな」
朝廷・藩「は?今まで意見求めて来なかったのに、急に求めてくんなや」

井伊直弼「怖いから日米和親条約とか日米修好通商条約に調印したよ」
一橋派「は、ふざけんなし」
幕府「うるせえ(=安政の大獄で反対派を罰する)」
水戸藩「は、ふざけんなし(=桜田門外の変井伊直弼を罰する)」

薩摩藩「幕府は朝廷とあるべきでしょ(=公武合体派)」
長州藩「幕府なくていいし、天皇中心で外国打ちのめそうや(=尊王攘夷派)」
土佐藩「朝廷に仕えるという意味では同じなんだし軍事協力しようや(=薩長同盟)」


幕府「討幕怖いので、政権を朝廷に返します(=大政奉還)」

😶前編のまとめ

江戸末期までは、日本国内だけの話が主である事が分かる。(中国とは昔からやり取りはしていた)

後編の明治時代からは、日本国内だけでなく海外も見据えたお話になってくる。


本書は本当に分かりやすくて、幕末ってごちゃごちゃしてるイメージあったけど、物語調なおかげで脳に定着できた。みなさんも是非。

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