最近、心がしんどい。
しんどい理由は分からない
- 担当しているバグまみれのレガシーシステムに予算がつかずに、放置せざるを得ない状況だからだろうか。
- そのシステムの運用にムリムダムラが多過ぎたり体系的だったりせず属人化しているのに、それに対して弊社の誰も何とも思ってないからだろうか。
- 開発ベンダと反りが合わず、そのベンダと関わりたくないと思っているのに、ベンダロックインしているせいで関わらざるを得ないという状況だからだろうか。
- いずれフリーランスになったり起業する事に対して、プレッシャーが重くのしかかっているせいだろうか。
- 自分のせいとはいえ歯を折ったからだろうか。
- 今年の夏は暑くなるとニュースで見かけたからだろうか。
- 最近お酒をあまり飲んでいないからだろうか。
- こんな不安定な性格の僕に妻を巻き込んでよいのかと考えているからだろうか。
明確な理由は分からないが、全ての要因が悪い相乗効果を起こしている気がしてならない。
できてない事が多過ぎる
- アプリの個人開発も、改修すべき事は分かっているのにできてない。
- そのアプリで使っているデータも、毎週チェックしてデータ更新すべきなのにできてない。
- そのアプリを宣伝するためのSNSも、決めた曜日にポストすればいいだけなのにできてない。
- ジムに行って身体の維持をしようとしてたけど、あれやこれやと考えてしまって全然身体が動かないので行けてない。
- 仕事においても、次にすべき事は頭の中で考えられているけど、「自分が気付いて実践しても、気付かない人がいる限り全て自分がやらなきゃいけないので面倒。」と考えてしまってできてない。
- 掃除も洗濯も気付いた時にやればいいのにできてないし、料理も気分転換や健康のためにやればいいのにできてない。
できてないというか、やる気力がない。頭では分かってるのに、身体が動かない。
逆に、何ができている?
- 出社日には定時に出社できている。
- タスク管理もできているし、期日よりずっと前に完遂させている。
- 会議があれば発言や提案もするし、気になる点は聞けている。
- 起業のためにすべき事を調査して、事業計画書を作ったり、コンテンツ一覧を作ったり、コンテンツを作ったりもできている。
...ここまでつらつら書き連ねていて分かった事が、一つだけある。
何の価値も提供できていない自分
まずは、できている事を見てみてみよう。
特に何か価値を見出せているわけではない。
起業のための調査や資料作りはまだ何の価値にもなってないのは明白。
タスク管理やタスク完遂、会議での発言や提案は価値に繋がっているように見えるが、この組織で2年間働いてきてその価値を感じれた事が一度も無い。
自分に影響力がないだけかもしれないが、エコーチェンバーかつフィルターバブルが蔓延している組織において、声が届かないのは大きなストレスとなる。
次に、できてない事を見てみよう。
何か価値を見出そうとしている事は分かる。
僕が作っているアプリに価値があるという自負はしているし、身体的な健康は精神的な健康に繋がる事も分かっているし、組織の価値を底上げしようとしているし、家事も積極的に行おうとしている。
最後に、各要因の悪い相乗効果を見てみよう。
様々な要因で精神的に思い詰めている事が分かる。
しかも、そのどれもが他人に相談すれば解決しそうな問題ではある。
つまり、誰にも相談する事ができず、フラストレーションが溜まりまくっているのが根本原因な気がする。
しかし、僕には友達がいない。
知り合いと酒でも飲みながら話をしたいが、コロナのせいで気軽に呼び出せない。
最も近くに居る妻も、ポジティブな話は聞いてくれるが、ネガティブな話は聞いてくれない。
『自己憐憫』『悲劇のヒロイン』
心理学的には『自己憐憫』といったり、世間一般では『悲劇のヒロイン』といったりする類いなんだとは思っている。
一昔前に流行った『承認欲求』とはまた違う感覚であり、「認められたい」という感情はこれっぽっちもないが、「報われないな」という感情はある。
かといって『自己否定感』が強いかといえば強くはなく、『自己肯定感』の方が強い方である。
『自己肯定感』が強いからこそ、現実とのギャップに苛まれて、「報われない」と自己完結しているんだろうと思う。
この症状を自覚しているからこそ、あまり感情を外に出さないようにしている。
その代わりに、最も近くに居る妻には迷惑をかけているとは思うが・・・。
「報われる」とは?
『大器晩成』という言葉があるように、今はエネルギーを溜めている時期で、良き時に放出され、その時に報われるのかもしれない。 はたまた、死ぬまで報われる事はないのかもしれない。
やはり、本ブログで何度も取り上げているが、ジャンポール・サルトルの遺した以下の言葉が胸に刺さる。
「実存は本質に先立つ」
「私は絶望に抵抗しながら、希望と共に死ぬだろう」
人間は、実存主義で生きていくためのノウハウを得る必要がある。