虚言癖はツッコミ待ち
あえて引用はしないが、先日SNSでこんな投稿を見かけた。
「知らないおじさんに噛まれた」
グロい写真も併せて投稿されており、ご丁寧にスレッド形式で経過観察までしている。
そして最後の最後で、
「傷口から感染していく傷メイクでしたー。お騒がせしましたー。」
虚言癖の人が何を考えてるのか
上記の投稿を見て、以下のような様々な感情が湧いてきた。
- 「いきなり噛まれるって何だろう」
- 「痛々しい写真上げるって凄えな」
- 「それにしても冷静だな」
- 「ってか嘘かよ」
そもそも虚言癖の人って何を考えてるんだろうか。
快楽?
承認欲求?
自己防衛?
自惚れ?
嘘の種類
嘘にも大きく分けて2つあると考えられる。
- 守るための嘘
- 快楽のための嘘
「守るための嘘」というのは、自分であれ他人であれ、だ。
遅刻をして「電車が遅れてて」というのも、自分の非を認めない=自分の尊厳を守る嘘になるし、
女性の「何歳に見えますか?」に対して、いくつか少なく見積もって答えるのも、相手の尊厳を守る嘘になる。
「快楽のための嘘」というのも、自分と他人とある。
他人の不幸は蜜の味のように、他人を陥れるために嘘をついてみたり、
承認欲求や虚栄心が強いがために、自分をより大きく見てもらおうと思ったり。
嘘をつく心理
守るためであれ、快楽のためであれ、そもそも何で嘘をつくのか。
・プライドが高い
プライドが高いので、尊厳を守りたい。
尊厳のためなら自分にも相手にも嘘をつく。(虚栄心)
・劣等感が強い
劣等感が強いので、嘘をついてでも他人に見てもらいたい。
自分の存在価値を守りたい気持ちの表れ。(承認欲求)
・サイコパス()
勝手に僕が考えただけだが、プライドも高くないし、劣等感もないのに、嘘をつく人は、大抵サイコパス。
何も守るものがなく、ただただ愉快犯のように嘘を連ねる。
嘘か本当か分からない文章表現
世の中には、嘘か本当か分からない曖昧な表現をする人もいる。
また、知ってる人には嘘と分かるが、知らない人には嘘と分からない表現をする人もいる。
芸術に関しての抽象表現は、人を惹きつけるが、 嘘に関しての抽象表現は、人を惑わしてしまう。
今回の冒頭にも書いた例示もそうであるが、
「おっさんに噛まれた」というのは、頭おかしい人を稀に見る今の時代的にありえそうな表現である。
また、「投稿者がメイク技術に長けてる人」という事を、知ってるフォロワーと、拡散されてきただけの全くの他人と、解釈の異なる表現であったり。
「おっさん」でなく「ゾンビ」にしていれば、この記事も書く事はなかっただろう。
ゾンビであれば、有識者でもそうでなくても嘘と分かる。
そう考えれば、この記事も書けた事だし、嘘の投稿してくれて良かったのかもしれない。
(無理矢理プラス思考に持っていくstyle)
虚偽性障害
少し話が反れるが、嘘による障害で「虚偽性障害」というものがある。(Wikipedia)
簡単に言えば、疾病利得を得ようとするための嘘。
・症状の発症や悪化などを訴える事で快楽を得る
・裁判や刑罰、徴兵などを免れる
・保険金などの金銭目的
そして何より、
Wikipediaに書かれてるこの文言。
世話を受け続けることが人生となっている。
自分が嘘をつく時、また、他人の嘘を見た時。
この言葉を思い出したい。
芸人業のツッコミ
これまた話が反れるが、芸人は、話を盛って笑いを取る。
盛る=誇張表現なので、軽く嘘が入ってくる。
ただ、芸人業の何が便利かと「ツッコミ」である。
芸人同士でツッコミ合う事で、どこを盛ってて、どこを盛ってないのか認識できる。
また、間の取り方や話し方、表情によっても、盛ってる盛ってないの認識がしやすくなる。
これが、一般人が淡々と話してるだけでは、嘘をついたとしても認識する事は難しいだろう。
(たまに、淡々と話されて「今の冗談だよー!ツッコんでよー!w」がウザいのはこのせいである。ウザい。ウザい。)
まとめ
つらつら書いたが、結局嘘は「自分のため」につく事が多い。
というより、ほぼ全てがそうだろう。
「他人のためだ!」と言ったところで、自分に対するメリットがなければやらないからである。
何かアクションを起こす時、大抵は「数%は"自分のため"が入っている」はずであると考えているため、「100%が"他人のため"」という人がいたら教えてほしい。
今後嘘をついてる人を見かけたら、
「プライド高くて劣等感の強い、自分本位で他人の気持ちも考えられない人なんだなぁ」と思いつつ、
「ツッコミ待ちかな?」くらいの軽い気持ちで見れるようにしておきたい。