頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

「ファン論」について

はあちゅうさんがこういう事言ってますね。

イケハヤさんも記事書いてますね。 http://www.ikedahayato.com/20180204/74320365.htmlwww.ikedahayato.com

岡崎体育さんはこういう感じ。 taiiku-cawaii-japan.hatenablog.com

ちなみにこんな記事も。

grapee.jp

ここからは僕の意見

結論から言うと、

「直接的な金の動き」のファンの事を言ってるのか、
「間接的な金の動き」のファンの事を言ってるのか。
その差異のせいで意見対立してないですかね???

そもそも、「抽象的な概念」に対して対立するのって何がしたいのさ。

はじめに

「ファン」って、語源的な意味はあるものの、意味が曖昧過ぎて捉え方が違ってくるんですよね。
金なのか時間なのか愛なのか、熱狂的なのか好意的なのか、直接的なのか間接的なのか。
だから、はあちゅうさんが言ってるのも正しいし、イケハヤさんも、岡崎体育さんも正しいとは思う。
逆に、これを正しいとしない意見が出るのも当然だとは思う。

芸人で考えてみる

僕はテレビっ子で、芸人さんとかタレントさんとか好きなんで、芸人さんに当てはめて考えてみると、
僕が知ってる芸人さんに「ファンなら金払え」って言ってる人は見た事ない。
稀に若手の尖った芸人がネタ(?)で言ってるのは見るけど、
大体は「面白い事やって売れたい!テレビ出たい!CMオファー欲しい!」くらいな感じ。

もちろん「金が欲しい」というのは念頭にあるだろうけど、
それを表立って言う事はないし、その売れたい精神が「お笑い」に活きてるとも思う。

そして我々は、テレビやラジオ越しに笑わせてもらっていて、CMを観たり聞いたりして、商品やサービスを買う。
直接的な金の動きはないものの、これも立派な「ファン」だと、僕は思う。

鶏が先が、卵が先か

はあちゅうさんが、
「お金がないのはそちらの問題であって、私が考える問題じゃない」
「私は私が活動するのにはお金がいるという問題が(以下略」
とも言ってる。

言葉を借りて言うなら、
クリエイターが金が必要なのは我々の問題ではないし、
そのために金が必要なら相応の資金や人員用意してからにすれば?くらいにしか思わない。

まあ、金がないと創作活動できないし、創作活動するには金がいるし、鶏卵問題みたいなもんだけど。

「お金を出す人を優遇するのは当たり前」

これは分かる。

クラウドファウンディングでもそうだよね。
「~5000円の人にはこれ。~10000円はこれ。10001円~はこれ」みたいに設定されてる。

ホテルやレストランも同じ。
松竹梅によって、食事も部屋もサービスもグレードが変わる。

これによって潰れた商店や商品も聞きますよね。
最近でいうと「明治 カール」でしょうか。
東日本での販売中止した途端「何でなくなるの!」って声が多数...
定期購入してない客が何言ってるんだくらいの感じですね。

金を出す人、金を出す地域。
そこに優遇するのは、もちろん当たり前です。

ただ、
「金払わない人が払いたくなるようにする」のがあなた達の利益に繋がるわけですよね?
話戻すと芸人さん達もそうで、企業が「この商品売れるか分からないけど、この芸人起用したら売れるかな」ってので起用されてギャランティーが発生して、利益になるわけでしょ。
で、そこから新しい仕事に繋がったり、新しい創作活動が出来たりして、新しいファンが生まれていく。

「金を払わない人には何もしない」という"拡大解釈"や"反対解釈"は大いに考えられるから、
その"歪曲した解釈"を補填するようなコメントも付け加えれば、「炎上商法」とも言われずに済むでしょうね。
(それでも炎上する人は炎上するだろうけど)
(炎上商法狙ってるって言われる人って、大体この補填コメントがないですよね。わざとなんだろうけど。)

関係ないけど、「ファン」の語源

ファン - Wikipedia

ファン(英: fan)は、特定の人物や事象に対する支持者や愛好者のこと。「熱狂的な」を意味するファナティック(英: fanatic)の略。

fanatic - Wiblio辞書

主な意味:
 熱狂者、狂信者

「fanatic」を含む例文一覧:
 a fanatic 宗教熱心家

「ファンなら金払え」って、何か聞こえが悪いし耳障りだなーと思ってたけど、
新興宗教みたいなものを感じるからかもしれない(

最後に一言

「抽象的な概念」について、何で正解を求めようとするのかが分からん。
いや、正解を求めようと模索するのが真理なのかもしれない。
だとしても、対立はおかしい。
するのであれば、「対話」をすべき。
「何言っても良い。批判せずに耳を傾ける。意見は変わってもいい」くらいの気持ちでいれば、心はもっと穏やかになるし、真理にも近付けるはず。 trapro.jp