頑張らないように頑張る。

努力と怠惰の狭間

宇宙人は存在します。

そもそも論「お前も宇宙人やろ」

宇宙人の存在についての議論が昔からなされているが、


「宇宙の中に地球が含まれ、地球に生物が存在している。すなわち、地球人=宇宙人である。」


という結論はダメなのだろうか。
・・・ダメですか、そうですか。


思考実験「宇宙人とは一体何なのか」

そんな事は置いといて、最近ふと考えた事がある。

 「1万8000年前の氷河期において、
  実はその時の文明が、既に発達していて、
  実はその時の人類が、その時に宇宙に行っていたら?
  そして、その時の人類が地球の状態を監視し続けているとしたら?」


宇宙人についてイラストが書かれる時、何故か全て"ヒト型"である。
"イヌ型"でも"ゾウ型"でも"植物型"でも"魚類型"でも別にいいはずなのに、何故か"ヒト型"。

しかも、宇宙人は何故か地球の空気で息ができるし、気圧による圧死もしない。
宇宙由来の生物であれば、その星独自の呼吸法や、その星独自の気圧で生きているはずなのに。

また、宇宙には他の星が無数に存在するのに、何故か宇宙人は地球を監視している。
他の星を監視しているのであれば、地球に滞在する時間なんて微々たるものなのに、UFOは何故か頻繁に目撃される。


そう考えると、
「宇宙人は実は地球人の祖先で、祖先が故郷を見に来ているだけなのでは?」
という僕の考えに合点がいきそうである。


陰謀論に過ぎないけど、陰謀論は楽しい

まあ実際問題、1万8000年前の氷河期の時点で文明が発達してたら何かしら痕跡残ってるだろうし、科学的根拠もないので、この結果になるわけはないんだけども。


けど、陰謀論って楽しいよね。
ありもしない事をそれっぽく語って、さも正しいように印象操作するあの感じ。


エンタメの一種としては好きです。

エンジニアリングとは一体なんなのか。

本来の意味

Wikipediaによると、エンジニアリングとは「基礎科学である数学・化学・物理学などを工業生産に応用する学問」との記載がある。


つまり「基礎知識を付けた上で、応用して生産しましょうね。」という事である。


ITにおける基礎知識とは

いわずもがな、基本情報技術者試験相当の知識だと考えられる。
基本情報技術者試験は、以下の3つに分類されている。

  • テクノロ
  • ストラテジ
  • マネジメント

まずは試験問題として出題される用語くらいは覚えている必要があり、これを基としてようやく応用・生産ができるようになる。


NGパターン:車輪の再発明

「いざ基礎知識をつけて応用・生産するぞ!」と息巻いても、そもそも世の中には応用・生産されたシステムやツールが多く存在する。


ビジネスにおける課題解決の9割5分は、世の中にあるシステムやツールで解決可能であり、わざわざ車輪の再発明をする必要がない。
むしろ、車輪を再発明する事で、コストが高くついたり、時代に置いていかれたり、不整備な車輪になってしまう恐れすらある。


世の中にあるシステムやツールを使えば、低価格、むしろ無料で実現可能な事の方が多い。
より速く・より安く・より確実にビジネスを回すには、車輪の再発明などする必要性は微塵も感じられない。


エンジニアとして重要な事は『作ること』ではなく『提案すること』なので、「その仕組みと投資、本当に必要?」ときちんと検討して提案する事が重要になってくる。


OKパターン:車輪のカスタマイズ

とはいえ、世の中にあるシステムやツールは汎用的過ぎて、カスタマイズが必要な事が往々にして存在する。
そのため、我々エンジニアに求められているのは、「いかに多くの車輪を知り、いかにカスタマイズできるか」という事になる。

<例1:ITIL

ITILとは「Information Technology Infrastructure Library」の略称であり、ITサービスマネジメントにおけるベストプラクティスをまとめた書籍群である。
これにはシステム運用に関する知識がふんだんに盛り込まれており、基本情報技術者試験の問題にも用語が出題されている”基礎知識”である。


以前、粗悪な運用をしているプロジェクトにアサインされた際、運用の不備を明確化した上で、改善策としてITILを提示した。
すると、多くの人間が「ITILって何?」と、言葉すら知らない状態であった。


その時、「基礎知識を知らない人間が運用しているのだから、そりゃ運用が回るはずもない」と悟った。

<例2:GoogleMicrosoftグループウェア

Googleは「Google Workspace」、Microsoftは「Office365」として、グループウェアを展開している。


グループウェアでは、メールやチャットはもちろん、資料共有やタスク管理、API連携など活用の幅は多岐に渡る。
また、ノーコードでWebサイトが作れたり、ローコードでAPI開発を行う事もできる。


これらを活用すれば業務改善も容易に行う事ができ、新たな価値発揮を提示する事もできる。


しかしながら、グループウェア内の機能が多いせいか(多くはないのだが)、その活用方法を知らず、昔ながらの悪しき慣習のまま仕事をしている人も多く存在する。
しかも、IT部門にいるにも関わらず・・・・・。


SDGsで考えるエンジニアリング

SDGsにある「つくる責任、つかう責任。」は、エンジニアとしては考えなくてはならない目標である。


エンジニアリングとは、基礎知識を応用して生産を行う事である。
基礎知識として『新たに作るべきモノ』『新たに作らなくていいモノ』を判断し、それぞれに合った提案を行う。


不要なモノを作らないという事は大事であるし、
必要なモノをより便利に昇華させていく事も大事である。


不要なモノが作られるとそれをメンテするリソースも必要になってしまうし、
有限なリソースを必要なモノに避けなくなってしまい、悪循環に陥る。


エンジニアが行うべき新たな価値創造

ビジネス課題を解決する車輪は、GoogleMicrosoft基本情報技術者試験が提供してくれている。
エンジニアはこの車輪をカスタマイズできるように自己研鑽し、カスタマイズでは実現できない一から作るべき事に対して、初めて新たな価値創造を行えばよい。


一方で人間は、ビジネス以外の時間を有意義に過ごしたいと考えている。
つまり、余暇時間をいかに有意義に過ごすかを考えてる。
なので、余暇時間を充実するシステムやアプリの開発をする事で、新たな価値創造をする事ができる。


不要なモノは生まないよう、新たなモノを生み出す。


これがエンジニアリングに求められる事だと考えている。

IT過激派のかなたさん

システムには人格がある

要件定義によって役割を決めて、
基本設計によって概観を決めて、
詳細設計によって行動を与えて、
実装によって魂を吹き込んで、
試験によって性格の不備を修正して、
いざ世間様にお披露目をする。


我が子が安定的に世間に貢献するために、運用するし、
我が子が意図しない振舞いをすれば、保守するし、
我が子の役割や期待が変われば、追加開発する。


そして、時期を迎えたら、世代交代として新システムの代わりにシャットダウンする。



「システムには人格がある」と言ったが、システムに人格を与えているのは我々人間である。
なので、一人の社員と同様に丁重に扱ってやる必要がある。


人格否定する極悪非道な人間たち

しかし、実際はそうはいかない。


意図しない振舞いをしていても見て見ぬふりをされるし、
本来与えられた人格を無視してパッチワーク的に役割を追加させられる。


そもそも望まない妊娠・出産のような形で開発される事もあるし、
退任時期を迎えても続投を命じられて、レガシーシステムのまま介護させられる事もある。


責任感を持ってシステムと向き合いましょう


システム開発という名の子作り、運用という名の介護に対して、もう少し責任を感じていただきたい。

特に、会社という組織においては。
(個人開発なら好きにすればいいと思う。)


SDGsにもあるでしょ。
「つくる責任、つかう責任。」って。

責任感持とうね。

「30歳」という数字の魔力

社会に生かされている感覚

プログラマになりたい!」と夢を見た中学時代。
商業高校の情報処理科に行き、専門学校の情報システム学科に行き、就職を機に東京に上京。
受託開発やら自社開発やら研究開発やらを経て、色々あって現在は社内SE。

特に東京に思い入れがあるわけでもないし友達もいないので、会社と自宅の往復の毎日。
テレワークできる職場なものの、職場付近の住居に住む必要があるため、岡山にUターンできない。
趣味もないので、テレビを観るか、レンタカーでドライブするか、家で酒を飲むだけ。
明日突然ガン宣告されても「やりたい事がたくさんあるのに!」と言えるほどの欲求も特にない。


社会を生きているのではなく、
社会に生かされているんだなと痛感してから、明日を生きる理由が見つからない。


人間は常に不安定な生き物

なぜ生きているのか分からないまま、来年の9月には30歳を迎えてしまう。
年齢なんてただの数字としか思って僕でさえ、非常にキリのいい数字なので、無性に考え込んでしまう。

無性に考え込んでしまうが、人間という生き物は、生きている限りずっと不安定な時期を過ごす。


中高生時代は、思春期という不安定期に入り、
20代は、アイデンティティの拡散に陥り、
30代から50代には、中年クライシスに陥り、
60代以降には、老後うつに陥る。


僕の中でのアイデンティティの拡散

以下の記事によると、アイデンティティの拡散に陥ると以下の兆候が表れるらしい。
https://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1406/03/news010.html

  • 時間的展望の拡散
  • 同一性意識の過剰
  • 勤勉さの拡散
  • 親密さの回避


『時間的展望の拡散』については、昔からよく表れる性格で、20代とか関係なく兆候として存在していた。


『同一性意識の過剰』については、昔から表れない性格で、20代でも兆候としては表れてはいない。


『勤勉さの拡散』については、東京に上京してから2年足らずで表れた。
はじめは東京という土地に浮かれて遊んでいたが、ふと「何のために上京したんだ?」と思うようになり、IT系の勉強会に足を運ぶようになった。
元々活字が苦手だったが、通勤時間を利用して書籍も読むようになり、心理学・哲学・量子論・組織論など、様々な分野に手を付けていた。
当時は「多角的な視点で物事を捉えなければ本質に辿り着けない」という思いで読んでいたが、今思えばアイデンティティの拡散の兆候だったのかもしれない。


『親密さの回避』については、2020年末に唐突に表れた。
元々友達も多くないが、SNS上などで表面的な付き合いをしている人は多く存在した。
しかし、唐突に「関係を断とう」と思い、SNSを削除し、LINEも不要な人間は削除した。
おそらく、献身的な性格な僕だが、見返りがなさ過ぎる事に心が疲れてしまったのだと思う。


妥協案を提示してくれる哲学

こういう時には、哲学者から知恵を拝借するとよい。


実存主義として有名なフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、
『実存は本質に先立つ』という観念を提唱した。


経験主義として有名なイギリスの哲学者ジョン・ロックは、
タブラ・ラサ』という観念を提唱した。


つまり、人間が生きる理由より先に人間は誕生しているため、本質は後から付いてくる。
人間は生まれながらにして白紙であり、経験により随時書き込まれていく。


なるほど、不安定の渦中にいても、そもそも人間に本質なんかないんだから、今は本質を探している途中なんだと考える事ができる。


世の中の30歳はどんな気持ち・・・??

・・・・・とまあ、こういった思考を巡らせるくらいには、30歳という数字の魔力に取りつかれている。
これもアイデンティティクライシスの特徴の一つなのだと思う。


ところで、世の中の30歳を迎えた人達は、どのような心持ちで30歳を迎えたのだろうか。
非常に気になる。

映画「ミスト」で考える新型コロナウイルス感染症(COVID-19)


※本エントリーには映画「ミスト」のネタバレがあります。※
※本エントリーには映画「ミスト」のネタバレがあります。※
※本エントリーには映画「ミスト」のネタバレがあります。※


昨晩、数年ぶりにスティーブン・キングの「ミスト」を観た。

スーパーの中で起きるパンデミック

現代社会の新型コロナウイルスにも当てはめられるのではないだろうか。



映画「ミスト」の大まかな流れは、以下のような感じだ。

  • ある日、嵐が発生。
  • ミストが確認され、再度嵐が発生するかもしれないので、買占めが発生。
  • ミストが濃くなり、スーパーから出られなくなる。
  • 触手の登場により、現実逃避組と現状理解組に分裂。
  • 弁護士率いる現実逃避組が外に出て殺される。
  • イナゴの大群が現れ、現状打破組と過激派宗教に分裂。
  • 過激派宗教による陰謀論が蔓延する。
  • 現状打破組が小さな命を救うために多くの命を危険に晒す。
  • 過激派宗教による贖罪が行われる。
  • 現状打破組が逃げ出すが、逃げ切れず自害する。
  • もう少し耐えていれば助けが来る事を知る。

ミストは感染症ではないが、精神崩壊を招くという意味ではある種の伝染病(パンデミック)と言えるかもしれない。



そして、新型コロナウイルスについても同じ事が起きていると考えられる。

  • ある日、世界のどこかでコロナが発生。
  • 日本でもクルーズ船での感染確認を皮切りに、マスクなどの買占めが発生。
  • 徐々に日本全国に感染が広がっていき、遂に緊急事態宣言が発令される。
  • この頃には「コロナと共存」というWithコロナ組と、「コロナは風邪」という過激派団体が現れる。
  • 「発生源は中国」「5年前にビルゲイツが言い当てた」という陰謀論も蔓延する。
  • 飲食業界や旅行業界を助けるためにGoToイートやGoToトラベルが施行され、更に感染が広がる。

・・・・・この先のストーリーについては、誰も分からない未知の世界。


「コロナはお前のせいだから贖罪を受けろ」とか、「コロナで死ぬくらいなら自害してやる」というのは考えづらいが、もしかしたら発生するかもしれない。

飲食業界や旅行業界が小さな命とは思わないが、結果的に感染拡大を招いてしまったし、それが果たして正しい判断だったのかも分からない。

全てはこの新型コロナウイルスの結末を観てみないと分からない。。。



本作中には、以下のセリフがある。

解決策を示す人物に見境なく従ってしまう。 人間は根本的に異常な生き物。 だから政治と宗教がある。

恐怖にさらされた人間は、短絡的な判断に陥りやすい。 そんな時に力を持つのが政治や宗教。たとえ過激であっても・・・。

しかし、政治や宗教が正しいかなんて分からない。 なので、自分自身が正しいと思える指標で行動する事が大切である。


また、主人公の息子が以下のセリフを言う。

「僕を怪物に殺させないで」

もし息子がコロナに罹患し、コロナに殺された場合、コロナを一生恨むだろう。

コロナを恨んで生きていくくらいなら、息子を殺して自分も死にたいという気持ちも、分からなくはない。



最後に、本作の主人公は首尾一貫して勇気と正義のある人物であったが、一つだけ問題があると僕は考えている。

それは、小さな命を助けようとした事だ。


もちろん小さな命を救う事は立派な事であるが、パンデミックのような状況においては異なると考える。

火傷した他人の命を救うため、健康で勇敢な人を連れて抗生物質を取りに行く必要はあったのだろうか。

彼は「ひと思いに頼む」と懇願しているし、外は化け物だらけだし、彼には申し訳ないが、その命を救うために多くを犠牲にする必要は本当にあったのだろうか。


パンデミック状態においては、正常な判断を失ってしまう。

だからパンデミックは恐ろしい。


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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Mist_(film)

「贅沢」と「無駄遣い」の狭間にあるモノ

クーラーを付けるのは贅沢。
熱中症対策になるし、ストレス軽減にもなるので、無駄ではない。
ただ、付けっぱなしで外出するのは無駄遣い。

浴室暖房を付けるのは贅沢。
寒いと風呂に入りたくなくなるし、ストレス軽減にもなるので、無駄ではない。
ただ、付けっぱなしで入らないのは無駄遣い。

ピザの宅配を頼むのは贅沢。
費用の代わりに調理時間が浮くし、とても美味しいので無駄ではない。
ただ、食べきれずに捨ててしまうと無駄遣い。

お酒を飲むのは贅沢。
費用の代わりにストレスが軽減されるし、とても美味しいので無駄ではない。
ただ、飲み切れずに捨ててしまうと無駄遣い。


つまり、

「贅沢」と「無駄遣い」は同じ時間軸に存在している。

「贅沢」が「無駄遣い」に変換されるのは、そこに「惰性」が生じた時。


「惰性」が生じるのは悪い事ではない。

クーラーを消すのは面倒臭いし、
浴室暖房付けても入りたくない時もあるし、
お腹いっぱいならピザも捨てたくなるし、
これ以上飲めない酒を飲む必要なんてない。


しかし、

そこで一歩踏みとどまり、次の一手を考えられるかどうかが重要になる。

「やっぱり勿体ないから消そう」
「やっぱり勿体ないから入ろう」
「今日は食べれないけど、明日温めて食べよう」
「肉と一緒に煮込めば柔らかくなりそう」




ところで、

昨年末、大きな断捨離をした。


8年近く運用していたTwitterアカウント。 突然執着がなくなり、アカウントを削除した。

あまり過去ばかりを想起するのはよくないが、最近のSNSに疲れてきたのが一番の理由だ。


本来のSNSは『ソーシャルネットワーキングサービス』であり、「社会的繋がりをインターネット上で実現できるプラットフォームサービス」である。

地理的に離れた個人同士が、匿名を用いて、共通の話題で盛り上がる事ができるところに魅力を感じて、僕も利用していた。


しかし、昨今のSNSは『宣伝用プラットフォーム』となっているように感じる。

昔からどの業界にも人気者がいて、その人気者にはファンがおり、ファンがファンを生む。 その拡散性に注目した企業がSNSに進出し、人気者を用いてマーケティングを行う。 インフルエンサーの誕生だ。

SNSに影響力がある事を知ると、企業が次々に参入を開始する。 メーカー系による商品紹介だけでなく、人事担当者による採用活動や、代表取締役によるブランディングも始まる。

この波及効果は政界にも影響を及ぼし、政治活動の一環として政治家による参入も開始する。

・・・このようにして、SNSというプラットフォーム上にかつて存在していた""匿名の人間""は、宣伝やブランディングによる""実名の人間""に淘汰され始める。


情報社会の大海原では、匿名性は必ず失われていき、どこかで必ず実名が浮かび上がってくる。 昨今では「匿名」「実名」という垣根すらもなくなってきているため、匿名に安堵していた人間は、匿名という名の居場所を失っていく。

更には「多様性」の名の下で、他人を容易に傷付ける事案も散見される。 自ら火だるまになる人間もいれば、人畜無害な人間に火種をふりまく放火魔もいる。 その放火魔を批判しても、放火魔の多様性を持ち出されてしまう。

他にも、SNSを眺めていると色々考える事が増えてくる。 それが個人の成長に繋がると考えて、辛くて批判的な内容であっても堪えて考えるようにしていたが、それにも疲れてきた。



最近のSNSに疲れてきたと言ったが、このようにあれこれ考えながら生きていくのに疲れたのかもしれない。

「削除するのは勿体ないな」とも考えたが、いっその事このプラットフォームから身を引いた方がストレスが軽減されると思い、心機一転も兼ねて削除した。年末だし。


惰性でアカウントを運用すると、時間や思考の無駄遣いしてしまうと判断したからかもしれない。

贅沢なタイミングで削除できたのかは不明だが。

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https://www.irasutoya.com/2014/02/blog-post_3983.html

メリークリスマスという事で、クリスマスディナーを作りました🎄🍴🍷

メリークリスマス🎄

という事で、昨日ディナーを作りました🍴

  • トナカイ:鶏モモ肉のローストチキン
  • サンタ :焼き赤パプリカ
  • リース :キャンベルのコンポタ
  • ツリー :水菜サラダ
  • 雪だるま:マッシュポテト
  • その他 :ラザニア、黄パプリカとローストビーフのマリネ

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クリスマスにはロゼが飲みたくなる。お酒おいしい🍷

献血100回記念。金色有功章をいただいたので、献血の話でも。

金色有功章が届いたぞー!うおー!

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金色有功章の賞状

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金色有功章のグラス

過去履歴

ラブラッドで過去履歴を確認したところ、以下のように献血をしてきたみたい。

  • 2012/05/18:1回目
  • 2013/04/20:10回目
  • 2014/02/14:20回目
  • 2014/12/06:30回目
  • 2016/01/10:40回目
  • 2016/10/22:50回目
  • 2017/04/30:60回目
  • 2018/03/03:70回目
  • 2018/10/23:80回目
  • 2019/06/17:90回目
  • 2020/08/29:100回目

ほとんど成分献血だったのでスパンも短くできてたけど、それでも8年かかった・・・。
(全血献血は12~16週間、成分献血は2週間程度で、次の献血ができる。人にもよるけど年間上限もある。)


献血の基本は【give】

ちなみに、当たり前だが、献血【give】が基本である。

よく「100回も献血してるのにこれしか貰えないの?」という人もいるが、そもそも【take】なんて求めてはいけない。ただ、相手からの【give】については答えないと失礼だと思っているので、無礼講も含めていただく。それがグラス。


患者さんへの、直接的な提供と間接的な提供

造血技術はまだ確立していなくて、iPS細胞によって血液を造る研究は進められているけど、まだ研究とか臨床実験も必要だから、献血じゃないと患者さんに提供できないので、ぜひ献血にご協力ください・・・。

ちなみに、献血した血液の全てが患者さんに提供されるわけではなく、有効期限切れや検査不良によって患者さんに提供されない血液もあります。これらは研究開発に利用されてるので、「直接的に患者さんへ血液を提供」という側面もあるし、「間接的に研究開発を通して患者さんへ医療を提供」という側面もあるという事を知っておくとよいかなと思います。


献血に対する負い目

献血は、できる人がやればいい。できない人は仕方ないし負い目も感じなくていい。 むしろ、できるのに定期的に通えてなくて申し訳ないのは僕の方だといつも思っている。

今年なんて、コロナで行動規制されているし、歯医者に通院してしまっているし、全然行けていない。。非常に申し訳ない。。。


余談:献血をするに至った経緯

そんな僕が献血に興味を持ち始めたのは高校生時代。

当時はアニメヲタクで、アニメイトに行きたかったけど移動手段がないので、父親に連れて行ってもらってた。僕が買い物をしてる間、父親は暇なので献血に行ってて、献血ルームに集合してから帰宅してた。献血ルームには漫画やドリンクバーがあって、律儀な僕は手を付けずに待ってたけど、スタッフさんに「どうぞ」と言われて少しいただいたりしてた。

その後専門学校に進学し、自分で車を持ち、自分で移動できるようになった。この頃にはアニメは観るけどグッズを買うなどはしていなかった。そして、ふとした時に「献血行ってみようかな」と一人で献血ルームに行った。それが2012年5月18日。

最初は何気なく行ってただけだけど、通い続けていると「時間と血液を提供するだけで救われる命があるのか」と思うようになり、そこからはボランティア精神が勝るようになり、今日に至る。


社会人になった今、「自分は社会のために働けているのだろうか」と日々考えるようになった。 社会のために働けていない自覚があり、そんな負い目を解消するかのように、ボランティアとして献血に行き、自己愛を高め、精神を安定させている側面もある。

不純な理由で献血してごめんなさい。



歯医者の通院も今年中に終わるし、来年からはまた通い始めたいな。

「家事」が大変な理由は、「家庭」が小さな社会主義国家であるから。

✔ 序文

IT業界の人間なら誰でも聞いた事があるであろう言葉、「運用でカバー」。

これほど聞きたくない言葉はないのである。


家庭においても同じ事が言える。


まず、「要件定義」として部屋探しをする。南向き、ペット可、駐車場付き、浴室乾燥機付き。様々な要件があるが、それらを満たしてくれるプラットフォームを選定し、決定する。

次に、「設計」として部屋のレイアウトを考える。プラットフォームに適合するサイズや色合いなどにする事で統一感を持たせる。もしくは機能性や汎用性を重視した物品導入を検討する。

そして、「開発」として実際に家電や家具を購入し、配置する。実際に配置する事で見えてくる課題が出てくるが、追加購入は検討しづらいためそのまま配置する事が多い。

ここから本番稼働が開始し、「運用保守」としての生活が開始する。


✔ 「誰が運用保守、もとい家事全般を行うのか」

さて、まず重要になってくるのは「誰が運用保守、もとい家事全般を行うのか」という事である。


システムであれば、設計バグや開発バグによって生じる不具合を修正したり、新たな要件を満たすために追加開発をする。また、異常発生していないか監視したり、異常発生時に備えてマニュアル策定などをしたりする。

家庭であれば、日々発生するゴミや洗濯物の処理、日々発生する炊事および洗い物、断続的に発生する排水溝やトイレの清掃、子育て家庭であれば子供の送り迎えや寝かしつけなども発生する。


こういった日々発生するほぼ同じ作業を、誰が担当するのかを検討しなければならない。 また、運用なんて本来は発生しない方がよいので、作業担当するだけでなく、改善提案が行えるかというのもポイントになってくる。


✔ 改善提案にかかる「費用対効果」と「導入製品の運用保守」

システムであれば、「根本バグを潰して監視負荷を減らしたい」「異常検知をログではなくBIツールで行いたい」「CIツールを導入してリリースまでの手間を一元化・簡素化したい」などの改善が上がってくるだろう。

家庭であれば、「ルンバを導入して掃除負荷を低減したい」「食洗器を導入して食器洗いゼロにしたい」「掃除効率を上げるためにレイアウト変更したい」などの改善が上がってくるだろう。


改善提案が上がってくると、次に重要になってくるのは「費用対効果」と「導入製品の運用保守」である。


「費用」については、人により変動する相対的な価値なので今回は触れない。(金がある人は買えばいいし、金がないなら買わなければいい。それが資本主義社会の宿命。)

問題は「導入製品の運用保守」、つまり「運用保守を低減するために導入した製品の運用保守」である。


BIツールやCIツールを導入するにあたって、それの初期構築やメンテナンスは誰がやるのか?専門知識が必要であれば追加要員が必要か?そのツールがバグを孕んでいた場合にシステム影響はないか?

ルンバや食洗器を導入するにあたって、そこで生じるゴミや洗剤は誰が補給するのか?ルンバの場合は掃除効率を上げるためにレイアウトを再設計しなければならないか?食洗器には誰が入れて、誰が食器棚に戻すのか?


そして、この導入検討からリタイアしたものは「運用でカバー」する事になる。


✔ 「運用でカバー」は魔法でも銀の弾でもない、ただの妥協

最後に重要なのは「この言葉を使ってよいのは運用担当者であって、それ以外の人間ではない」という事である。


担当者が「これは確かに仕方ないね」と思うから、手作業で対応するわけであって、他の人間が手作業を強いるのはお門違いである。

更に言えば、他の人間が「導入検討したら?」というのもお門違いである。何故なら先ほど問題提起した「運用保守を低減するために導入した製品の運用保守」について他の人間は考えていないからである。 仮に考えていたとしても、実際の作業は運用担当者になるため、実質的に負荷をかけている事になるからである。


実際問題、現行構成のまま運用した方が時間もコストも抑えられるケースもある。運用担当者もその辺については考えているし、何でもかんでも導入すればいいという話でもない。


✔ 減点方式と加点方式。資本主義と社会主義

よく「運用保守は減点方式」と言われる。できて当たり前、できなかったら総スカン。これは良くない心理状態を生み出してしまう。


加点方式にすれば、やるだけ評価されるし、やらなければ点数が加算されない。よし、これなら大丈夫だ!・・・・・ともならない。

会社であれば、加点方式でよいだろう。やる人が評価されて出世し、やらない人が評価されずに停滞する。それが資本主義の宿命。

家庭であれば、点数なんて重ねる必要がない。評価に関係なく生活ができる、いわば社会主義だからだ。社会主義国家では平等なので、やる人がしんどい思いをする。



家事が大変と言われる所以は、ここにあるのだと思う。

家庭は小さな社会主義国家であり、そこで行われる家事は、やる人のみが大変な思いをし、やらない人は"平等"な利得を得られる。

社会主義の崩壊の理由が、家庭を通して見えてきた。



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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9